「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

なんで、こんなに飽きっぽいの? 〜もっと熱中できる人間になりたい〜

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プラモデル、僕は完成したことがない。子供の頃からそう、飽きちゃう、いつも途中で投げ出しちゃう、根気がないんだな。大人になったいまでもそう、面倒くさい話は好きじゃない、適当にやり過ごしちゃう。もちろん大人だからやらなければいけない仕事は最低限する、義務ですからね、でもどちらかというと趣味の部分なのかな、自分が気にいってやり始めたことも、なぜだか途中で急に熱が冷めてしまう。

 

どうしてなんだろうね。ひとつのことに熱中するひと、できるひとを羨ましく思っちゃう。意思を持って、追求する、極める、そんな人達を尊敬します。僕にとっては、プラモデルを完成させることも、ノーベル賞をもらうような研究も一緒、尊敬します。

 

よくテレビなんかで、こだわりを持った人が出てくるけど、スゴイなーと感嘆する。いまもテレビで穂高の山小屋を管理していた宮田八郎さんの話をしていて思わず見入ってしまったんだけど、こういう人は自分はこれをやる、これをやりたい、ていう意志が強いんだろうね。

 

ちなみにこの方は穂高の山に魅せられて大学を中退し、山小屋の管理人となり、52歳で急逝されるまで、毎年7ヶ月間を山小屋で暮らし、登山客を迎えていたそうです。意思の強さもさることながら、これだけ自分がやりたいことに出会えるということもスゴイと思います。

 

でもそういう言い方すると怒られるんだろうね、きっと。出会えたんじゃなくて、自分が見つけたんだと。そういう意味でやはり意思が大切なんだと思います。でもね、僕はそこまで自分が没頭する、したいようなものに出会えたことがないんです。もとい、見つけられたことがなんです。世の人はみんなはそういうものを持っているのかしら。そうだとしたら羨ましい限りです。

 

宮田八郎さんのようにまではなれなくても、それなりにみんな没頭しているものって、あるんだと思う。読書でもいいし、映画でもいいし、楽器を弾くことでもいいし、絵を描くことでもいいし、ボランティアでもいいし、登山でもいいし、勉強でもいいし、アイドルの追っかけでもいいし、オタクでもいいし、女装でもいいし、なんだっていいんだと思う。

 

でもこうも思うんです。見つかっても見つからなくても良いんじゃないかなって。だって見つけること、それ自体が楽しいことじゃないかと思うから。そう、見つけることに没頭するんです、これって、楽しいことだと思いませんか、これから見つけていく楽しさがあるってことだもん。

 

別にその道を極めるために何十年もキャリアをこなさなきゃいけない、一人前になれないということだってないと思う。そこまで、こだわりがなくたって良いんだと思う、ウンチクいえなくても良いんです。自分のココロに響けば良いと思うから。これが大事だよね。人に示すためじゃないんだもの、自分のためなんだもん。

 

だから、このブログ書きながら探してみる、青い日々ね。ブログ書くのだってそう、飽きっぽい僕がこんなにひとつのこと続けたことって実はないんだよね。そういう意味では、自分が何をしたいのか、それを探すことに僕が没頭していることなのかもしれない。いいよね、楽しいもん。

 

探しものはなんですか、見つけにくいものですか、それより僕と踊りませんか、陽水さんも言ってました。探し続ける日々、そういうのだってきっと楽しいはずです。小さなことでも、みんなに笑われてしまうようなことでも良いと思うんだ、だって自分が楽しいんだもん。だからみんなも一緒に探しましょう、そしてブラボーな日々を送りましょう!ね!!