いつかは忘れる、でも感情はココロの何処かに蓄えられている
プッチーニ「私のお父さん」、吉田羊さんのENEOSのCMで使われている、なんか久しぶりに聞いたな。
なんとも物悲しく、おセンチな気持ちにさせる、それでいながら、なんか未知との遭遇というか、得体の知れないものへの出会い、ワクワク感、そして切なさや悲しみ、何か知らないけど、そんな複雑な思いを感じさせる。
なんでだろ?
不思議だよね。きっと、自分自身、昔の経験の中で、知らないうちにこの曲を聞いていて、その時の感情が断片的に思い出されてるんだと思う。なんとも不思議な気持ちだ。
でもこんなことって、たまにある。
久しぶりに昔の曲を聞いたり、小説やマンガを読み返したときに感じたりする時がある。なんかその当時感じた匂いを急に思い出したりする。
でも具体的には全然覚えてないんだよねー。良い思い出なのか、悪い思い出なのかもわからない、それでもなんかしらココロに残っていることだけは確かなのだろう。
僕らのカラダ、ココロって不思議だなー。
もうスッカリ忘れちゃってる出来事なのに、その時の感情だけは、きっとココロのどこかに蓄えられているんだね。
そこにはきっと僕自身だけでなく、僕と関わった色んな人たちも格納されているんだろう。
なるほどなー、となると僕も誰かのココロの中で人知れず蓄えられているのかもしれない。それって素晴らしいことだよねー、できれば良い思い出として残っていてほしいもんだ。
そう考えると、良く死んじゃった人のことを私のココロの中で生き続けている、そんなこと言ったりするけど、本当のことかもしれないね。
そう考えたら、何か少し嬉しくなってきた。今はもういないあの人も、そしていつかいなくなるこの僕も、誰かのココロの中にある、残り続けるっていうことは素晴らしいことだ。
生きてる意味があるってもんだよね。もしかしたら生きるっていうのはそういうことなのかもね、あー人生はいくら勉強してもしたりないよー。がんばろー。