「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

デイ・ドリーム・ビリーヴァー ~ずっと夢見させて~

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子供のころアメリカのテレビドラマをよく見ていた。白バイ野郎ジョン&パンチや、奥様は魔女、それからモンキーズが出ていたドタバタ劇のドラマなんか。モンキーズのドラマは最後に彼らのヒット曲「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」が流れ、なんか見終わったあとの僕らの気持ちを心地よくさせてくれた。

 

そう考えると、たいがいヒットしたドラマや映画っていうのはその挿入歌も含めてヒットしている。もちろんその楽曲も優れているんだろうけど、そのドラマと相まって、僕らの感情が刺激されるのでしょう。ビジネスと言えばそうなんだろうけど、よくできたビジネスだと思う。テレビCMなんかで使われる楽曲なんかもそう、何かいつまでたっても耳の奥に残り、その先にはCMの製品も思い起こされる、一種の刷り込みってやつですね。

 

そんな風に生まれてきたヒット曲だけど、最近はちょっと違うみたい。最新のヒット曲はアイドルグループが組織的に展開しているものや、バンドマンたちが純粋に提供しているものに二極化されている。そして、それらの楽曲はYoutubeやらサブスクリプション音楽配信サービスやらで提供されている。提供される方は、もちろんテレビの音楽番組もあるけど、いまは電車の中でスマホにイヤホンで聞くことのほうが多い。

 

音楽が年代や嗜好に応じて細分化というかカテゴライズ化されているのかもしれない。だから最近はミリオンセラーと言われているような大ヒット曲がない。音楽自体、ネタ枯れしちゃったんだろうか、ダンスやらラップやらとの合わせ技に逃げちゃっているように感じる、間違いなく心の琴線に触れる曲は減っている。

 

 サブスクリプションの普及に伴って、最近の楽曲はイントロが短かく作られるそうだ。イントロが長かったり、サビにたどり着くまでに時間がかかると、簡単にスキップされちゃうんだって、そんなもんなんでしょうかね。まあ、聞かれなきゃしょうがないからね、よくブログなんかも言われてるもんね、読まれなきゃ意味ないから、まずは皆を引き付けるようなタイトルをつけましょうなんてね。

 

でもねー、本質じゃないよねそういうの。たしかにビジネスとしてはそうなのかもしれない。聞かれなきゃしょうがないし、読まれなきゃしょうがない、それはその通り。でもねー、なんかねー、そういうところから人の琴線に触れるミリオンセラーは絶対に生まれてこない、そんな気がしています。

 

サブスクリプションで聞かれるようにって、イントロの短い曲ばかりなのだったら、逆にイントロに徹底的にこだわって曲を作ってもいいと思う。そういうところから、イノベーションって生まれてくるんだと思う。本当はチャンスなんじゃないのかな。昔だってラジオで曲を流してもらうためには3分以内で全体が伝わる曲にしなきゃいけないとかあったらしいけど、そんなこと意識してたらボヘミアンラプソディなんて絶対に生まれてこないもんね。

 

結局は何のために表現するのかってことだと思う。ビジネスのため、少しでも多く人に知ってもらうためというのであれば、株取引と同じで色んなICTやらテクニックやら法規制の隙間を潜り抜けて、取り組めばいいということです。それがGOALに到達するための手段なのであれば、それいいんでしょうね。昔のドラマや映画やCMとのカップリングだってGOALは同じだったわけで、単にその手段が変わってきているということだと思います。

 

 でもね、じゃあなぜココロの琴線に触れる曲が減っているのか、もしかしたら僕らのココロが変化(鈍化)してしまったのかもしれないし、世間一般の人々の求めてきているものも変わってきているのかもしれない。でもなんか感じる、提供される側の純粋な表現したいって気持ちが減ってきているのではないのかって。

 

 ビジネスも大事だし、本来のGOALはそこにある、だけどそこに固執しすぎてるんじゃないだろうか、なんか大切なものを忘れてきちゃってるんじゃないだろうか。そんなことを思い感じる青い青い青い日々。「デイ・ドリーム・ビリーヴァー」を聴きながら空を見上げ、なんかいいな、そんなことをただただ感じていたいと思う。それだけなんだよねー、そんなこと感じる青い青い春の日々でした。