「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

エンパシーは大事、でも自分が何をしたいかはもっと大事

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以前読んだ本のメモ書きがあった。そこには次のように書かれていた。

 

 「エンパシーとは「最終的に理解し合えない」という前提で限定的に共感すること。エンパシーというのは、「何を言っているか」ではなく「なぜ言っているか」を理解する能力。」

 

 書かれていたのは何の本だかわからない、アマゾンとかメジャーじゃない電子書籍のアプリから購入した本だったと記憶してるんだけど、そのアプリが立ち上がらなくなってしまった。こうやって強いものはその強さ(資本)に物を言わせて、より強くなっていくんだろうなー、そしていつか、依存度がマックスになった時点で、僕らを裏切る(僕らの情報で僕らに害をなす)ような気がする。

 

関係ない話になっちゃった、話もをもとに戻すと、先程の言葉はエンパシーという能力について書かれたものなんだけど、なんかよくわかるよね、最近の世界中の国と国とのやりとりなんか見てると「話せば分かる」なんて幻想なのか、と思ってしまう。

 

 僕が思うに「話せば分かる」は正しい、ただそれは、同じ共同体の中で同じ夢を見ている、というか同じ幻想を抱いていて、共通の目的や価値観の中で暮らしている人たちにおいて成立するものだと思う。その場合、「何を言っているか」そしてそれの意味するもの、つまり「何」とは何かが理解され、懇切丁寧に説明しあうことでそれは理解される。あとはそれが受け入れられるか、受け入れられないかという話。

 

 けども先程のエンパシーは違う。「何を言っているか」の「何」について話し合ってもしょうがない、だって言ってる方の「何」は、実際の「何」のことではないんだから。

 

 これ国と国だけでなく、会社でも一緒。本来は会社の事業拡大に社員が一丸となって取り組むはず、つまり同じ共同体のはずが、いつの間にか組織が大きくなり、自分のとこの組織さえ良ければって考えが優先されちゃう。会社にとって何が一番必要かを考えなければいけない時に、自分たちの意見が通るかどうかということが優先されたりしちゃうことがある。

 

 この時、「何を言っているのか」=「会社にとって一番必要なこと」でなければならないのに、実はこの話し合いによって「自分の組織や、自分自身の価値を高めること」が目的になっちゃってるから、「何」の話をしたっていつまでたっても噛み合わないわけ。よくあるでしょ、こういうこと。

 

 自分の組織のボスが出世すれば自分も偉くなれるってね。だから「話し合い」にならない、そこにあるのは言葉巧みな「屁理屈」だけ、それも自分たち、自分の組織を守ることや、さっき言ったみたいに自分の立ち位置を高めることしか目的がない。当然価値観だって違う。

 

 こんな会社どうなっちゃうかというと、早晩、機能不全に陥り、会社としての競争力をなくします、そんな会社これまでにもいっぱいありました。

 

だからね、何が言いたいかというと「エンパシー」はとっても大事、相手を慮り、多様性を認めあうことはとても大切なことだと思う。けど、その前に自分が何をしたいのかどうしたいのかを相手に伝えることがもっと大事なんではないかと思うわけです。青臭いこと言うようですみません。「最終的に理解し合えない」前提で交渉し合うなんて悲しいことだと思うんですよね。

 

 こんな状況、国と国だったら絶対にいつか戦争になります、第二次世界大戦は世界中の経済が悪化して大恐慌が起きて各国が自分さえ良ければいいやって保護主義に走ったからって学校で習ったもの、なんかいま各国で起きている貿易戦争ってこの時の状況と同じだもんね。

 

 会社だってそう、同じ目的に向かって楽しく、一生懸命に仕事したいよね。一体何のために仕事をしているのかって話です。僕は仕事って余り好きじゃないんだけどお給料もらって暮らすためには一生懸命仕事しなきゃしょうがない。つまんない仕事だっていいんです、それが会社の目的や事業の目的に繋がっていればいいわけです。誰かの私利私欲に繋がる仕事なんてまっぴらご免、そんな事に一生懸命になったってしょうがない、それこそ奴隷だ。

 

 じゃあ僕らはどうしたらいいのだろう、どうやって生きていけばいいのだろうか。必要なのはやっぱりVISIONじゃないだろうかと思うわけです。国のVISION、会社のVISION、そこに立ち返るべきだと思う、そして徹底的に議論して健全に健気に考えるべきだと思う。

 

 そんなこと僕ら一個人じゃできないよ。そうだよね、そう思います。でもだからこそ僕らにできることもあるんじゃないかと思います。それが何かと言うと、「僕のVISION」です。僕はどう思うか、何をしたいか、何をすべきか、それはなぜなのか、何のためなのか、このような自分の考え=VISIONを持つことが必要だと思うのです。

 

 「僕のVISION」を今を生きる僕自身が持つべきなんだ。そしてそんな人が一人二人と増えることでそれが「僕らのVISION」になり、一緒に働く仲間の「会社のVISION」になり、そこで暮らす人々「国のVISION」になるのではないかと思います。だから僕ら一人ひとりがまず自分自身の考え「僕のVISION」を持つことが大事なんだと思います。

 

 そして、小さなことでもいい、自分のVISIONに従って行動を起こすことが大事なんだと思います。相手にどう思われるかより、まずは自分が何をしたいか、そして何をするか、だと思います。たいへん青臭くて申し訳ない、「青い日々」ということでご勘弁ください。

 

 で僕自身の「僕のVISION」はなにか?それが「お多幸な日々」なのだと思うわけなんです。だからこのブログが僕の「VISION」です、そしてそれを実行できるよう「青い日々」を送りたいなーと思います。

 

 「ほしいのは」

 

  勉強していても

  仕事していても

 

  ほしいのは結果だった

 

  作文書いていても

  絵を描いていても

 

  ほしいのは出来上がったものだった

 

  走っていても

  歩いていても

 

  ほしいのは達成感だった

 

  僕はめんどくさがりだから

  根気がないから

 

  そんな風に思ってたけど

  本当の楽しさ

 

  知らなかった

  気づかなかった

 

  育てていても

  暮らしていても

 

  ほしいのは

 

  育てること

  暮らすこと

 

  その日常

  その嬉しさ

 

  僕らのゴールは

  ゴールではない

 

  ゴールに向かう僕ら

  それが僕らのほしいもの

 

  ほしいのは

  今