「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

「粋」と「野暮」 ~僕らは何を考え生きていくのか~

 

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粋と野暮、もう10年くらい前になると思うんだけど、読売新聞に出ていた記事を今でも覚えています。

 

哲学者・九鬼周造さんは著作「いきの構造」で粋について以下のようにあらわしたそうです。
①媚態(びたい)
異性に対する「つやっぽさ」や「色気」であり、セクシーで上品な振る舞いのこと。
②意気地
反骨心や気概といったもの。「武士は食わねど高楊枝」といったやせ我慢や媚びない気概のようなもの。
③諦め
運命を受け入れ、未練がましくなく、あっさりとした姿勢。無常観といった仏教的思想の反映。

 

僕ら日本人としては何となくしっくりきますよね、だからいつでも僕らは粋でありたいと思うし、その反対である野暮にはなりたくない、そう思うわけです。でもその時の読売新聞の記事にはこう書かれていたんです、「もっと野暮になろう」。

 

それは何かというと、先にあげた「粋」という概念は、江戸時代という抑圧された武家社会の中で、庶民が自らのアイデンティティやプライドを保つためにつくられた虚勢であるというのです。お上の言うことに従わなきゃいけないんだけど、俺らは自分の意思で気高く生きているんだと言い張る、要は究極のやせ我慢ってやつだというんですね。

 

それに対して今の世の中は何だってできるし、何でも言うことができる、つまり国や政府に対してだってもっと声を上げるべきだ、だから「もっと野暮になるべきだ」そう書かれていたんです。自由や権利ってものは与えられるものではなくて、自分たちで守っていかなくてはいけないんだ、と警鐘を鳴らす記事だったんですね。

 

なるほどなあーと思ったことを覚えています。確かに今の世の中、政府がなんかおかしなことしても少しばかりのデモ行進が起こるくらい、それに対して僕らは野暮だなーなんて簡単に思っちゃう、でも当たり前を当たり前と思っていてはいけないし、時には野暮になって、正すべきものは正すよう働き掛けないと、当たり前だと思っていた世の中がいつか当たり前でなくなってしまうこともありうると認識すべきなんだと思います。

 

なんでこんなことを思い出したかというと、あるニュースを知ったからです。アメリカの国防省が発注する軍事用のクラウドシステムをマイクロソフトが1.1兆円で受注したという記事なんですけど、気になったのはマイクロソフトの従業員が反対してるってこと。武器開発や戦争に利用されるために自社の技術を提供するべきではないという声が上がっているというんです。

 

なるほどアメリカっぽいよなーとは思うんだけど、自分の会社に照らし合わせてみると考えられないよなーとも思います。会社の意見は会社の意見、じゃあ個人の意見はどうなのだということです。僕らは個人で生きているわけなのだから、個人の意見があって当たり前なわけですけど、それをちゃんと表現していますか、もっというと考えてますか、ということだと思います。

 

僕らは当たり前を当たり前とは思ってはいけないんだと改めて思います。会社に所属してるから会社が決めたことに従わなきゃいけない、ってことじゃないんだと思います。もっと自分の意見を持たなければいけない、野暮にならないと得られないものもある、そんなことを考えさせられた記事なのでした。

 

だれだって「粋」でありたいって思う、だからこそ「野暮」にならなきゃいけない時もある。これって私生活も含めて大事なことのように思いました。「もっと野暮になろう」そして精一杯頑張ったうえで、「たいしたことないぜ」、そんなことが言える「粋」な自分でありたい、そんなことを思う青い日々なのでした。