「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

高齢化社会と老人力 〜やりたいことをやり続ける〜

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会社を休んで、平日の街をブラブラしていた。そしたら、普段は気づかない街の光景に気がついた。なんかそこら一体、ご高齢の方ばっか、ショッピングセンターに行っても、洋服屋に行っても、本屋に行っても、ご高齢の方っていうか老人ばっか。

 

そうかそうか、高齢化社会とはこういうことか、よく聞くもののあまりピンときてなかった、朝早く会社に向かい、夜、家に帰る生活を送っていると、平日真っ昼間の街の情景に気がつかない。会社はもちろんだけど、オフィス街ではそんなに老人は見かけない、行き帰りの電車でもだ。そりゃそうだよな、生活スタイルがぜんぜん違うんだもの。

 

街で見かける老人、その中でも女性は何人か一緒に買い物していたり、お茶していたりする人達が多い、それに引き換え、男性はほぼひとり、色んな店でひとりぶらつく男性の老人が目に入る。

 

なんかねー。少し怖くなっちゃった。僕も定年で引退したらこうなるのかな、一日一日、優雅な生活といえば聞こえはいいが、要は時間をつぶして毎日を送ることになるのだろうか。中学生の頃、夏目漱石のこころを呼んで、高等遊民として暮らす先生のことが羨ましかった。高等遊民とは、高等教育を受けながらも職につかず、読書などをして過ごす人たちのこと、老後にはそんな生活が待っているのだ。

 

世の中はどんどん人不足になってくっていうのに、そりゃ政府もやっきになるわけだよね、働く高齢者を増やしましょうって、生涯現役とかなんとか言ってさ。これって年金を払いたくないだけなんじゃないんだろうね、こういう暇な(高等遊民)な老人が増えてくると、社会的に悪影響が出てくると思ってるんじゃないかな。お金持ってるのに使わないで、若い頃のなんとかで文句だけはいっちょ前に言うけど、何もしない無気力症候群な老人たち、若い人たちにも悪影響を与えかねないってね。そのうち姥捨て山に捨てられちゃうかもしれない。

 

それでも地方の老人は、比較的畑作業や何やらもあるし、コミュニティもあるので、生涯現役な人達が多いんだろうけど、問題はアフターサラリーマンの都会の老人たちだと思う。プライドだけは高いけど、何もやらない、しない人たち。

 

うーん、僕もサラリーマン、将来そんなこと言われないように、心構えしておかなきゃいけないよねと強く思います。別に働かなくたって、食べられるだけのお金が少々あればいい(ここが大事ではありますが)、そして問題はやりたいことがあるかどうかだ、これに尽きると思う。

 

だからこそ、いまからやりたいこと、たくさん考える。たくさんたくさん考える、そしてお多幸な日々を送ることが僕の目標です。今は実現しなくても、いつか実現できればいい、それがしたいこと、やりたいことだ。もちろん今からやること、やり続けることがお多幸な人生なんだと思う。

 

今まで知らなかった平日の街の景色、でももうひとつ気づいたこともある。うちのまわりは若い街だから比較的若い人たちが多い、だから老人ばかりでもない、子どもたち、保育園や幼稚園の子どもたちもたくさん見かけることができた。日本全国的には稀有な光景なんだろうな、そんなことも思うけど、こんな子どもたちの目標になるような老人(?)にならなきゃだよな、そんなこと思う青い日々なのでした。