「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

充実した日々


今年のGWはホントにどこにも行かなかった。家の中でゆったりまったり、マンガ読んだり、読書したり、大谷見たり、マリノス見たり、あー充実した10連休だった。

渋滞すること混雑することがわかっていて出掛ける気持ちが僕にはさっぱりわからない。でも、そう思うようになったのは最近のことかもしれない。以前はどこかに出掛けなきゃと焦る自分がいた。

どこか行かなきゃ、子供や親を連れてかなきゃ、充実した休日にしなきゃ、まるで何かに強迫されているような気持ちがわいてくる。そもそも、充実したかどうかは本人次第、自分が満足したかどうか、それだけのことなんだけど、いつの間にやら人様にご披露できるような過ごし方をしたかどうかが問われるような気持ちになっている。

不思議なものだ、要は見栄を張っているのだね、もしくは人並みに過ごしたい、人と同じようなことをしたいという一種の強迫観念と言った方が適当かもしれない。

いい加減、僕らは人と比べることから卒業しなきゃいけない。これは学校や職場環境でそのような教育を受けてきたことだから、なかなか難しい。だってそれが正解だと教わってきたのだもの。テレビでも毎日、行楽情報を流している。GWだから、みんなどこかに出かけなきゃいけませんよ、それが正しい休日の過ごし方ですよって脅迫してくる。

そんなのおかしいってことに最近になって気がついた。歳のせいもあるだろう、何ごとも達観して考えられるようになるのは加齢のいいところ。

もちろん生活環境が変わったこともある。子供からも妻からも、どこかに行こうと言われない。だから本を読む、好きなことをする、そしたら気づく、なんか楽しいじゃん。充実してるじゃん、そうなる。

もしかしたらこれが自立するということかもしれない(遅い)。だから、必要以上に子供や親に干渉してはいけないのだ。それは僕らの自己満足にすぎないのだから。

充実した生活、満足できるかどうか、それは誰かから提供されるものではなくて、自分自身で判断することだ。そんな感覚を皆が持ち、高める必要がある。そうできるよう促してあげることが本来の親の責任でもある。キャンプや潮干狩りに行くことが親の責任では決してない。

感じること、考えること、そして自分で判断すること。大げさだけど、そうしないとこれからの時代生きていけない。国のしてくれることがすべて正しい、なんてことは決してないのだから。

まずは自分にとっての充実とは何かを考えよう。人からもたらせられるものではなくて、自分で考えて実行すること。それがみんなの当たり前になると、楽しいい社会になると思う。実はこれってすごく楽しいことなんだよね。そう思う。