「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

考えることを放棄しちゃいけない


最近は会社に行くのもすっかり私服。

三年前に今時の施策としてオフィスカジュアルが導入された。
若い子は嬉しそうにおしゃれ、オッサンは変わらずスーツ。
しばらくはそんな感じ。


それでも時折、私服でやって来るオッサンの痛い姿が印象に残っている。
どこでその服売ってるの?そんな感じ。
役員からしてそんな感じだ。


僕はというと、この際だからとキレイ目なジャケパン私服を買い込んだ。
なんかいい感じ、自分が違う自分になったようで気持ちがいい。
(簡単な自分)


なんといってもスーツと比べて動きやすいし、仕事していても楽ちん。
夏はポロシャツで涼しいし、冬はセーターで暖かい。
そもそも、夏も冬もスーツっておかしくない?
そんなことに今さら気づく。


こんなだから、ここ三年スーツを着ていない。
客先行くのもジャケパン、最近は来客があっても上着すら着ないこともある。


だからといって、非常識、なんて怒られることも無い。
言わないだけでそう思われている、なんてこともない(と思う)。
だって、相手に不快感を与えるような恰好をしているわけではないのだもの。


たぶん僕らが思っている以上に、相手は僕らに関心がない。
関心があるのは自分のことだけだ。
スーツ着てちゃんとしている自分が大事なだけ、
それで安心できるだけ。


スーツを着なくなってわかったことがある。
オシャレって難しい、そんな自然の摂理を今ごろ知った。


普段着だったら、それこそスエットでも短パンでもいい。
もちろん仕事だもの、そういうわけにはいかない。


相手に不快感を与えない、社会人として常識ある私服。
意外とこれが難しい。


さらに50代としての適切な格好も模索しなければならない。
若すぎず、オッサンすぎず、それ相応の上品さも醸し出したい。


スーツであれば何も考えなくていい。
10万のものでも1万のものでもスーツはスーツ。
どちらを選ぶかは着る人の価値観の問題。


でも、これって創造力の放棄だと思う。
スーツ着てれば、あとはなんだっていい、簡単すぎる。
だから日本企業が生み出す製品にはセンスがない。


性能は良くても価格は安くても、マーケティングが優れていても。。。
センスがない。
これって致命的だと思う。


最初はオフィスカジュアルなんて、若い子に媚びた施策だと思っていた。
でも違う、センスを育むための施策だと思う。
これから企業が生き延びていくためには、
生み出す製品やサービスにセンスが必要となる。


だから、これは会社のため、仕事のための取り組みではない。
自分のための取り組みなのだ。


センスある自分でいるための修行。
何ごとも楽しちゃいけない。


楽(らく)しないで楽(たの)しむことが必要。
嬉々として取り組むのが良い。


そう思って今日も悩む、何着て行こうか。。。
50代からの修行、そう思って楽しむ。。うーん、難しい。