「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

僕の心を震わせる何か

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すっかり季節は秋、というか肌寒い日が続き、あの寒い冬に向かっている。

 

なんか寂しい、もの悲しい、そんなふうに感じてしまうおセンチな季節。
なぜなのだろう?

 

そう思って考えると、一番の理由は陽がドンドン短くなっていくことだと気づく。
ついこの間まで、仕事を終えた18時から日没までの一時間が至福のビールタイムだった。
ベランダのアウトドアチェアに座り、夕焼け空を見ながら飲むビールは最高だ。

 

そういえば、9月末の中秋の名月の時は、南に向かって右手側はまさに陽が落ちる瞬間、空を赤く染めて一日が終わろうとしている。それに対して左側は早くも満月が空に耀き神秘的な光を放っていた。
こんな景色を右目と左目で一気に見られるこの瞬間ってスゴイ、そんなことを感じてしまうような素敵な光景だった。

 

必死になって、より目の反対、つまりそれぞれの目を外側に見開き、この奇跡の光景を満喫しようとするアホな私。どう考えてもおかしな人。

 

それだけの奇跡の光景が僕らのまわりに存在しているということ。そして、存在しているのだけれど、気づくか気づかないかはその人次第。
これってとても大事なことだと思う。

 

いつもの日常はいつもの日常ではない。
いつもの日常はいつもやってくるとは限らない。
そういうこと。

 

だから常に何かに気づけるように準備しておくことが大事。
だから僕は出かけるときもイヤホンで音楽を聴き続けたりはしない。
特別な瞬間に気づける自分でいたいから。
そんなことを思う。

 

そんなことを思うけど、いつもの変わり映えのしない日常を送っている。
でもそんな日常こそがそもそもスペシャルなのかもしれない。

 

きっと写真家や映画監督という人たちは、そんな日常を切り取ることの価値を知っている人たちだ。
それを人は芸術という。
おかしなもんだよね。

 

気づくか気づかないか。
誰にも訪れるその瞬間。
だったら自分でも気づいてみたいじゃないか。
誰もがそう思うはず。

 

芸術かどうかは見た人が決めればいい。
自分にとっての芸術とは何なのか。
それは自分の心を震わせる何か。
その何かはそこいら中にあふれている。

 

楽しいね。
楽しいじゃない。
僕の心を震わせる何か、世の中はそんな何かで溢れている。
絶対に気づいてやるからな、そんなふうに思う。