「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

あたらしい季節

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なんか今年の夏は短かったような気がする。

 

暑い暑いと言っておきながら、気楽なものだけどそう思う。
長梅雨だったから、暑くなったのは実質7月に入ってから。
無茶苦茶、暑かったのはオリンピック期間中くらいだったのではないだろうか。
一体なんだってこんな時期にオリンピックを開催したのだろう。

 

運動会は春か秋に行われる行事と決まっている。
体育の日は10月10日(今は違うか)、前回の東京オリンピックの記念日だ。
今日は10月9日、今週は台風一過で秋晴れの一週間、スポーツに最適な気候。
本来ならば、あちらこちらで運動会が開催されている季節。
残念ながら、そんな風景はまだ見ることができない。

 

さぞかし、みんな残念がっているのだろう。
とか何とか言いながら、僕が子供の頃を思い返すと、自分は運動会が嫌で嫌でしょうがなかった。

 

なぜかって?
そりゃ運動音痴だから。
足だって速くないし、スポーツ全般が苦手、それなのに人よりカッコよくなりたい、カッコつけたいおめでたい自分だったからから、運動会は苦痛でしかなかった。
運動会で活躍する奴らはヒーローだ、リレーの選手に選ばれて最後の周回で大逆転なんて奴を見ると羨ましくて仕方がなかった。

 

こんな僕だから、運動会当日は雨が降ればいいのにとか、なんか事件が起きて中止になればいいのにとか、そんな事ばかりを考えていた。
だから、このコロナで運動会が開催されない状況は、当時の僕にとっては願ったりかなったりの状況だったに違いない、ほんと子供らしくない子供、自分でもそう思う。

 

でも実はそんな子供も結構な数いるのではないだろうか、そんなことも思う。
そして、今の世の中、実は同じような考えに至っている大人もたくさんいるような気がする。

 

会社に行きたくない、客先に行きたくない、そんな大人たちにとっての免罪符、それがコロナであり、自粛生活。
運動会が中止になればいいのに、そう願っていた子供と同じように、大人の世界でも、これまでだったら当たり前のようにすべきことに免罪符が与えられている。
こんな社会がずっと続けばいいのに、そう思っている人も結構な数いるに違いない。

 

こんな社会の状況だもの、感じ方は人それぞれ。
それなのにいつもの日常に戻りたい、そんなステレオタイプな声しか聞こえてこないし、報道されない。
なんか騙されてない?そんなことを思う。
こうしなきゃいけない、以前はこうだった、こうあるべき、当たり前のように言われるけど、僕らのことは僕らが決めるべき。
本当はこの機会に僕らはどのような社会を望んでいるのか、求めているのかもっと考えるべきではないかと思う。
実は世の中が変わる空前絶後の大チャンス、僕らはそんな季節に身を置いているのかもしれない。

 

総理大臣も変わったらしい。
派閥で選ばれただけ、そんなことも言われているが、基本的に政治家は社会を変えたくて、より良い世の中にしたくて政治家になったはず。
だから、かつての日常を取り戻す、そういうことではなくて、これからの新しい社会を作り出す、そんなふうに考えてほしい。
そのためには僕ら自身も自分ごととして考える。

 

子供の頃の僕のように、運動会の中止を喜んでいる人や、自粛生活に満足している人たちだって、いつまでも今のままではいられない。
新しい明日をどう生きるか、それは新しい明日をどう創るか、それは自分自身なのだということ、こんな時だからこそ真剣に考えるべきだ。
運動会のない秋晴れの休日、そんなことを思ってみた。