「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

いつかは「いつか」でしかない、いつもは「いま」にしかない

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昔、ある米軍の飛行場で事故があり大爆発が起きた。

 

近所に住む人たちは、そこには核爆弾があると噂されていたから、この爆発は核に違いないと大騒ぎになったそうです。

 

仕事先にいたある人は、爆発を見て、すぐに逃げなさい、そう家族に電話をするのだけど、核爆発であれば逃げてもしょうがない、家族はそう言って、主人の帰りを待った。

 

ある家族は、その場にいた家族全員で正装に着替え、みんな一緒に最後の時を待った。

 

なんかね、昔の人は達観していたというか、肝が据わっていたというか、いやそれだけじゃない、なんか死に際に対する美徳、美意識みたいなものが強かったのではないかと思います。

 

自分の死に際に対して、恥ずかしい真似はできない、正々堂々とというとおかしいけど、これまでの人生を認め、感謝して、誇りをもってその時を迎える、そんな意識じゃないだろうか。

 

なんか潔いし、僕ら日本人としてはしっくりくる、きっと大昔からDNAに刻み込まれているんじゃないかと思う。

 

でもね、今の僕、僕らにそんな意識は本当にあるのだろうか。

 

危険が迫れば、真っ先に逃げ出すんじゃないだろうか、自分だけでもなんとか助かりたいと考えるのではないだろうか、愛する家族を守ることなんてできるのだろうか。

 

そんなことを思います。

 

僕らは今の日常、この退屈で変わり映えのしない日常がいつまでも続くと思っている、それでいて、いつもの平凡な日常、そして自分自身に嫌気がさしている。

 

もっと新しい刺激、新しい何かを求め、そしてそれを夢とか、理想とか、もっともらしい言葉に託して、何もしないで、願い求めている。

 

僕らに大切なのは「いま」なんじゃないだろうか。

 

普段頑張れなければ、いざという時に頑張ることなんてできない。練習で100%力を使い切ることができなければ、本番で100%の力を出すことなんてできない。

 

僕らに必要なのは、いま、この時間を100%の力で取り組むことなんじゃないだろうか。

 

そうしたら、いつ死んでも後悔なんかない、あとは恥ずかしくない堂々とした死に際を迎えるだけ。ありがとう、すべてのものに感謝して納得して自分の生を全うするだけ。

 

いつかは「いつか」でしかない、いつもは「いま」にしかない。だから今しなきゃいけないことがあるはず。なぜか今日、そんなことを思ったのでした。