「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

「買える買えない」と「買う買わない」

 

なんか、前にも言ったんだけど、僕は買うことで満足してしまうところがある。

 

買うことで得た満足感と達成感、買ったものを十分使い倒せないばかりか、もったいなくてなるべく使わなかったりする。アホですよね、ホント。

 

基本、ケチなんです。だから買おうか買うまいか、モッタイナイんじゃないか、贅沢しすぎなんじゃないか、前に買ったものがまだ使えるんじゃないか、そんなことばっかり考えてしまう。いざ買ってみたら、さっきも言った通り、もったいなくてなかなか使えない。。。

 

今年の頭にパソコンをSurfaceGOに買い替えたんだけ、それまで使っていたMacBookAirは2011年に買ったから10年近く使ってたわけ、その時一緒に買ったiPadも今年買い替えたけど、今でもトイレ専用機として使っている。

 

いくら何でも、長持ちさせすぎだよね。それだけ使おうと思えば、使えるくらいに機械の寿命が延びたということなんだろうけど、僕はこんな僕から卒業したいと思います。

 

だって頑張って10年使ったとしたら10歳も歳取っちゃうんだよ、その間、我慢して使えたとしても、我慢して使った期間は単なる無駄ではないのかしらん。それどころか、その間、我慢して使ったものにあわせる僕になっちゃう。新たなインプットも刺激も感激もない。そんなの嫌じゃない。

 

こう思ったのは、去年、大きな病気をしたことも影響していると思う。だってあと2~3年で自分が死んじゃうとしたら、もっといろんな経験したいじゃない。我慢して、倹約して過ごすなんて嫌じゃない。

 

人生100年時代、だから質素に倹約してというのも一つの考え方かもしれない。でも、そんなに長生きできる保証何処にもないんだもん。だからね、分不相応の贅沢をしなければ、それなりに欲しいものは買って、新たなインプットを得るべきなんじゃないか、そんなこと思うようになりました。

 

そりゃー、ローン組んだり、自分が持っているお金以上に高価なものを買う必要なんてサラサラない。そこはわきまえればいいことだもんね。

 

だからね、自分で買える範囲の欲しいもの、買いたいものは積極的に買う。そしてこれが大事なんだけど、買ったものを積極的に使い倒す、そしてそのインプットを吸収して新たな自分になる。こんな生活を送っていきたいと思ういます。

 

それっぽいこと言いましたが、自己弁護かもしれません。自分で自分を正当化したいだけかもしれません、でもいいじゃない、それが幸せならそれでいいんだと思います。そうですよね?

 

ピンポーン!あ、週末限定セールしてたダイソンの掃除機が届いた!わーい。アホです。