「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

ダメだよ病に襲われる日々 ~性格は与えられるもの、僕だけの宝物~

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俺ってダメだよなー、定期的に僕ってダメだよ病に襲われる。昨日だって、夜食事していたら、一張羅のグレーのズボンの上にアヒージョ様がポトッ。。。なんでももっと気をつけられないのか、顔を出せ、もしくは皿を口に持ってこい、こんな感じでいつもいつもスーツやネクタイを汚してしまう懲りないわたし。。。

 

お酒が進むとついつい、色んなものを注文してしまい、お酒も追加してしまい、翌日はお決まりの二日酔い、それに年長者だから自分がご馳走しなければいけない場でついついそんな頼み方をしてしまうものだから、お値段も。。。まあビックリ。その場はこともなげにクレジットカードでお支払いも、よく朝目覚めると後悔しきり、まったくせこいというか、男前でないというか、だったらもっと頼むペースを抑えてそれなりの金額になるように嗜めばいいのにそんな配慮もどこかに吹き飛ぶ。まったくコドモというか、大人じゃないというか、スマートじゃない自分がココにいる。

 

しかしね、こんな自分は一生こんな自分なんだろうね。人は成長する、そりゃ成長するだろうけど、性格は成長しないような気がする。となると、その性格っていつ決まるのだろう、どこでどうやって出来上がるのだろうか。

 

 みんな否定するだろうけど、その大半は遺伝が占めていると思う。俺は親とは違う、親のようにはなりたくない、という人もいるでしょうし、親の七光りを享受しようとする人もいるでしょう、まあ、人それぞれではありますが、DNAというのは人類というか生き物を構成する仕組み、仕掛けなのですから、親の性格が引き継がれるのは当然のことだと思います。

 

 ただ、引き継がれるのは必ずしも親のモノだけとは限らない。お父さん、お母さん、どちらの親から引き継がれるのか、それにおじいさんおばあさん、そのまたひいおじいさんやひいおばあさんから引き継がれるものかもしれない。だってそうやって自分の子孫を残していくのが世の掟なのだからしょうがないよね。

 

 だから自分の子供の一挙手一投足になんだかなーと思い憤ることも多々あれど、自分の至らなさが引き継がれているのだからしょうがない。かといってもちろん、自分のコピーではないわけなので、新しいオリジナリティを持っているからそこに感心したり驚いたりすることもある、まったくこの世はよくできています。

 

 ということで、私の話に戻ると、私は一言でいうと「迂闊(うかつ)」なんですよね。よく物を落としたり、その場の流れに流されたり、「嗜む(たしなむ)」みたいな自制心が欠如している。よくいうと、計算高くないということもできます。あるがまま、そんなことはないか。単に考えが浅いということなのでしょう。

 

さてさて、そんな自分はどうあるべきなのでしょう。まあ、性格って「遺伝」と「環境」からできてると思うんですよね、だから自分ではなく、自分のまわりから作られる。その性格をベースに何を成し遂げるかは自分の努力なんだと思います。だから、まずは自分で自分の性格を受け入れることが大事なんではないかとそう思うわけです。

 

 それが世にいう「自分らしさ」ということなんでしょう。だから嫌味な人もいれば、優しい人もいるし、おコリンボな人もいるし、弱い人もいれば、強い人もいるわけです。でもだからこそ、この世界が成り立っているんだと思います。みんながみんな賢者のような人ばかりだったらこの世は成り立たないもんね。

 

 だからいいんだよ、まずは自分の性格を受け入れましょう、そしてその上で、なりたい自分になれるように取り組みましょう。僕の場合はまず、ポロポロとごはんをこぼさないという極めて低レベルな努力から始めます。これって性格なの?と突っ込まれそうですが、ようは「迂闊」を減らすということです。何ごとも慎重に、そして色々と悔やむことも多々あれど、単に流されるだけでなく、思い感じることを徹底していこうと思います。

 

できれば何かをした後に悔やみ思い感じるだけでなく、何かをする前に思い感じることを増やしていくことが「迂闊」をなくしていくことにつながるんでしょうね。とこんなことを考えながらも、まっいいか、とすぐに思ってしまう青い日々なのでした。失礼しました。