「青い日々」

多幸感あふれる、幸せな生活

無駄か無駄じゃないか ~想いが有るか無いかだよね~

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これって無駄だよな~、そう思うことや感じることってよくある。最近感じたのは、やっぱりねの年賀状。普段ご無沙汰している人に近況を届けあい、お互いの無事や新しい年の幸せを願い合う、こんな素敵な習わしに対してそんなこと言ったら怒られそうだけどしょうがない。

 

でもね、なんか会社の同僚とかで出し合う年賀状ってホント不要だと思う。特に昔の同僚で、お互い出し続けているだけの間柄の人とかってホント無駄。それにコメントも何もなし、ただ印刷されたものが届くだけって失礼極まりないと思う。僕は、そんな人への年賀状であっても少しばかりのコメントは書き込んで送っている。それが最低限の礼儀だと思うし、そうしないくらいなら送る意味なんてまったくないもの。それでも毎年、何のコメントもない年賀状は大量に送られてくる。もう、お互いやめればいいのにね、と思って数年前にやめてみた、でも相手はたぶんパソコンソフトにお任せなんだろうね、送り続けてこられちゃうんだから困ったものだ、まったくね。

 

でもよく考えると、年賀状を何十枚、何百枚も出し合うって相当な出費だし、時間もかかるし、郵便局の人だって年末年始に働かなくちゃいけないし、一体誰のためなんだろうって思っちゃう。少なくとも想いのこもって無い年賀状はもうやめたほうがいいと思うんですよね。そういう相手なら、何を思われたっていいじゃない。気になる人には自分の想いとして便りを出す、返信は期待しないし求めない、こんなやりとりでいいんじゃないかと思います。

 

元々は素敵な風習、習わしなのにいつの間にかそれが義務や慣例になってしまっているものって、たくさんありますよね。やっぱり僕らは本来の物事の本質をきちんと理解して取り組むべきだと思う。時代だって、文化だって変わっていくんだし、会社だって働き方だって変わるんだから、僕らが自身も変えていくべきだと思います。

 

今年はトップによる年頭訓示を取りやめた会社や自治体も多かったようです。年頭訓示に出るために出社するのではなく、自分の意思で自分にとっての年末年始の過ごし方を考え、その上で自分の働き方も考えてくださいということだと思います。慣例にとらわれることばかりが礼儀じゃないということですが、その背景にはこれまでのように会社は社員のプライベートまで守ってはあげられないということもあると思います。要は自立してくださいということですね、でもその通りなんです。僕らは、もっと自分のことは自分で考えなければならないのです。仕事もプライベートもね。

 

そんなこんなで新しい年が始まったわけですが、年始にクリーニングに出していた上着を着ようとしたら、内ポケットにクリーニングのタグが止められていた。このタグを外そうとしたら、なんとホッチキスで止められていて、結構とるのが大変。それにいくら内ポケットの見えないところとはいえ、ホッチキスで止めるなんて雑すぎやしませんかね。これが一番手っ取り早いのかもしれませんが、なんか想いがこもってないよねえ、と思っちゃいました。少なくともこれを外す人の手間とか想像していない。

 

だからね、ちょっとしたことでもすべては想いがあるかないかなんだよね、大げさに言えば相手に対するリスペクト、そのために自分自身が常に本質に向き合ってるかどうかということだと思うんです。礼儀がだからとか、慣例だからとか、効率がいいからとか、見えなきゃいいとか、そういうことじゃないんだよね。

 

ということで、最後は自分がどう考えるか、どう判断するかなんですよね。あまり深く考え過ぎないで、常に自分と向き合って生きていければ素晴らしいなと思っちゃいました。というかそんな自分になりたいね、そんなことを考えてたら早くも1月が終わっちゃいました。僕の青い日々はいつまで続くんだろうね。そういえば、青い日々の行きつくところはどんな日々なのだろう。青い実の多くは熟すと赤くなるから、赤い日々かな。相変わらずアホな私です、青い日々はまだまだ続きそうです。

 

 

「オセロ」

 

 オセロをしていた

 

 黒を白に変えて

 白を黒に変えて

 

 端を取り

 角を取り

 

 相手を出しぬき

 祈り

 

 相手に出し抜かれ

 後悔し

 

 白は白のまま

 黒は黒のまま

 

 変わらなくなってしまった

 そう思ったらまた変わって

 

 気がついたら負けていて

 たまに勝つ時もあって

 

 オセロをしていた

 

 僕の毎日はオセロだった

 

 なぜオセロは白と黒だけなのだろう

 

 僕は僕のオセロを

 ピンクと黄色に変えてみた

 

 それでも僕は

 オセロをしていた

 

 僕の毎日はオセロだった

 

 少しだけ

 少しだけ色がついた毎日だった

 

 今度はピアノの鍵盤を金と銀に変えてみて

 大きな声で歌ってみた

 

 それが僕の新しい生き方だった

 精一杯の毎日だった