「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

台風一過と草餅の香り 〜いつもの日はいつもの日じゃない〜

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台風が関東を直撃した。

 

台風は毎年来るものと思っていたけど、今回のように強い勢力を維持したまま直撃することは余りなかったらしい。僕は横浜に住んでいるのだけど、夜中、ものすごい風の音がしていて、窓ガラスとか大丈夫なのかと思っちゃった。朝方6時頃にはピークが過ぎたようだったけど、既に交通機関はめちゃめちゃの状態。

 

こりゃ、下手に会社に向かうと大変なことになるなと思い、その日は家で仕事をすることに。最近は働き方改革とか言って、来年の東京オリンピック時の対策も含めてモバイルワーク環境が整いつつある。こんな時はサラリーマンバンザイだ、申し訳けありません。

 

それでも、なんとなくサボっているような、やっぱり頑張って会社に行かなきゃいけなんじゃないかみたいな後ろめたさがあって、行こうかなと何回も思ったのだけど、そのたびスマホで路線状況を検索すると、駅に入れないとかひどい状況が中々収まらないようなので、意を決して(?)割り切ることにした。

 

案の定、交通機関はスゴイことになっていたようで、頑張って会社に行った同僚もいたようだが、大変な状況だったらしい。後で、テレビのニュースでも、すごい状況が放映されていた。

 

やっぱり、なんかおかしいよな。

 

そう感じた人も多いんじゃないかと思う。もちろん、行政の人やインフラに携わっている人は、なんとか出社して、自ら担っている仕事の責任を果たすべく尽力されたと思うのだけど、そうじゃない人がほとんどだったのじゃないのかしら。

 

会社に行くことが自分の責任。

 

もしかして、そう思っている人が大半だったのではないだろうか。会社に行くこと、いることが仕事をすることだと思ってる、9時5時までちゃんと働いて、上司が帰ったら自分も帰るという芸風のサラリーマンが未だに多いんじゃないのかしらん、と思っちゃった。

 

だって、どう考えたって、頑張って会社に着いたとしても普段と同じような仕事はできないわけです、だったら、割り切って自宅で仕事をしていたほうが数倍効率的だし、自宅でできない仕事であれば割り切って休む、できれば事前にそうなってもいいような準備をしておく、そして翌日からまた頑張って働くほうがよっぽど効果的だ。それに安全だ。先に言ったようにインフラに携わっているような人が交通機関を使って出勤できるように協力すべきじゃないのかと思うわけです。

 

こう考えると、日本の会社っていうのは学校の延長なんだよね。今日は休みって誰かに言ってもらわないと、自分で判断できない、後ろめたさを感じたり、上司に怒られちゃうってね。

 

違うでしょ、自分の仕事のアウトプットは何なのか、自分の役割、自分の価値は何なのか、それを理解して取り組むこと、そして自分で判断すること、できることが、責任持って仕事をするということんなんだと思う。

 

未成熟な大人が多いのかもしれない。もっと厳しい言い方をすると無駄な仕事、つまり会社にいいることが仕事になっている人が多いってことなのかもしれない。世の中は無駄で成り立ってる、そんな事を言った人もいる。そんなの悲しいじゃん。

 

僕はあらためて思った、自分の担っている仕事のアウトプットは何なのかということを。そして、仕事だけじゃない、自分がしていることはすべて必要なことなのか、それを常に自分自身が認識できているかということを。

 

いつもと同じように会社に向かい、いつもの時間に、いつもと同じような作業をして、いつもと同じように家に帰って、いつもと同じようにご飯を食べて寝る、こんなふうに毎日がルーティン化されてしまっているのじゃないのかって。

 

やっぱり価値ある日々を送りたい、そのためには物事の本質を意識して取り組まないと時間に流されちゃう、いつもと同じ日はいつもと同じ日にしかならない、当たり前だけどそういうことだと思う。

 

自分のしていることの意義や意味を認識して、本質は何かを意識しながら行動していくことが大事なんだと思うし、それでないとお多幸な日々は実現できないんだとあらてめて思い感じた次第です。

 

その日の夕方、仕事も一段落したので外に出てみるとビックリ、その光景に唖然とした。大きな大木が根本から倒れている、幹の途中から裂けて倒れている木もある。こんな姿、今まで見たことがなかった。そこら中の道が折れた枝や無数の葉っぱで埋め尽くされていた。

 

そしてあたり一体、物凄い緑の香りで充満していた。何か似てるなと思って気がついた。草餅だ、あの草餅の新鮮な緑の匂いがあたり一面に充満している。

 

これって人間でいうと血の香りなのかな。そんなふうに思ちゃった。これまで何年何十年とこの場所で生きてきた大木が根本からひっくり返っているのだ。いつもの日は、いつまでもいつもの日ではいてくれない。だから僕らも変わらなきゃいけないんだ。いつもの日を自ら変えていかなきゃいけないんだ。そんなことをこの光景を見て感じた。

 

この大木は倒れてしまったけど、残された根っこからまた新たな芽を出し、何年、何十年もかけて再生していくのだと思う。僕らだって、いつ何があるかわからない、この木々のように血を流して倒れてしまいことだってあるかもしれない。

 

だからこそ、いつもの日を僕ら自身で変えていかなきゃならないんだ。そんなことに気づかせてくれた台風一過の青い日々なのでした。