「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

お多幸な音楽 〜岡村靖幸 青春の光と影〜

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この間、小沢健二さんについて思うことを書いた時、小沢さんは本当の言葉を使って歌っているのに対して、岡村靖幸は本当のことを歌っていないと書いた。ある意味、嘘つき、しかも正直で健気な嘘つきだと僕は思ったから。

 

なんか岡村ちゃんの歌詞は一生懸命に自分が思うこと、思いたいことを造り出しているような気がするんだよね。でもその時も書いたけど、それが健気で、かつ圧倒的なリズムに乗せてくることでサイコーのカッコよさを表現しているんだ。こんな人は他にはいない、唯一無二のタイプだと思う。

 

僕はこんな岡村靖幸が大好きで、これまでもずっと聴いてきた、太っちょさんだったときもライブに行った。そんな嘘つき(失礼)の岡村ちゃんだけど、時々正直になるところが彼の魅力で、それが最大に発揮されるのがライブ名物(?)の「弾き語り」だと思う。

 

これも事前に考えているんだろうけど、なんかいいんだよね、岡村ちゃんは普段、意識的に青春の影の部分を歌い続けているような気がするのだけれど、この「弾き語り」では青春の光の部分も顔を出し、それが影の部分と交錯して、みているものを時に笑わせ時に感動させる、なんか心の琴線に直接ノックしてくる、それがライブではダイレクトに伝わってくる。

 

いくつかの「弾き語り」はCDにも収録されているけど、1992年12月26日東京ベイNKホールのライブは秀逸だと思う。「今年の年末ー、お前と暮らせるならー、芸能人やめたっていいぜー」「俺とディズニーランドに行っておくれー、オーベイベー、なんか新しい乗り物ができたって噂じゃないかー」なんて弾き語りしながら、そのまま松田聖子の「Sweet Memories」を歌い上げる岡村ちゃん、「愛してるぜセイコ」だって、天才だよねこの人、ホントそう思います。これは聞かなきゃ伝わらないから、是非とも聞いてみてください。

 

なんかね、この弾き語りは、通常の楽曲にはない本当の言葉で語っているような気がして、嬉しいんだよね、さっき言ったみたいに実は事前に巧妙に考え練ったものなのかもしれないけど、でもそうだとしたら、もっとヒット曲がたくさん出ててもおかしくないと思う。

 

岡村ちゃんが歌う青春の光と影の部分に本人が気づいているのかいないのかはわからない。でもそれこそがこの人の魅力だと思う。儚さ、健気さ、純情と体裁とまっしぐら、その混ざりあった危なさ、脆さ、そして鋭利なまでのリズム感、音楽性がこの人の最大の魅力だと思う。

 

たぶん自分自身でもその得体の知れない何かに気づいているんだろうね、だから自分の心の奥底から生まれてくるものに違和感というか、今まで出てきていたものが出てこないような状況にかられるとテクノロジーに走ってしまう、クスリね。天才が天才だからこそ陥る負の部分そのものだと思う。

 

ところで、この人の「弾き語り」、正確には弾き語りじゃないんだけど「語り」の最高峰はこの「カルアミルク」にあると思う。

 

俺は負けない、負けたくない、誰にも、そして自分自身にも負けないんだ、というそれこそ青春の光と影、その葛藤が全面に出ている。この語りは自分自身に対して語っているのだろうけど、聞いている僕らにも伝わりまくる。勇気をもらえる。これだよこれ、岡村ちゃんが作るべき音楽、そして語りはこれなんだよ。この曲?語り?にどんだけ勇気をもらったことか、本人は気づいているのかなー。ありがとうございます。

 

もう一点、岡村ちゃんの楽曲というかライブ映像で最高に多幸感を感じるのがこれ、「愛はおしゃれじゃない」、これ作詞は岡村ちゃんじゃない。でもだからこそなのか、それでも圧倒的な幸せ感が会場いっぱい、映像全体にほとばしっている。この詞を書いたBase Ball Bear小出祐介だけでは絶対にこんなライブはできない。多分それを本人もわかっているから、一緒に出演している彼も楽しそうだ。若い友達と気軽に演じている岡村ちゃん、こんなに多幸感がほとばしっているって、本人は気づいていないんだろうな。これが彼の本質だと思うんだよね、それに気づいてそれを歌い語りだすと岡村ちゃんは本物というか本当の革命家になれると思う。

 

これってスゴイこと。でも岡村ちゃんならできる可能性があるし、今その可能性を持っているのは彼だけだと思う。青春の光と影を歌うことのできる革命家、二度と現れることのない存在になれるかどうかは本人次第だと思う。