「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

僕らは守られている、まずは気づくことから始めよう

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夕暮れ時、西に向かってクルマを走らせる。

 

目の前には思いっきり太陽が。。。もう眩しくて仕方ない。それと同時に何か、えも言われぬ不思議な神々しい雰囲気を感じる。

 

太陽に吸い込まれていく、そんな感じ。

 

未知との遭遇」という映画で、そんなシーンがあったなー。目の前にあるのは眩しい眩しい太陽さんなんだけど、なんか宇宙船のようで、その宇宙船にクルマごと吸い込まれていくような感じです。

 

そもそも太陽とは何なのでしょう。

 

遠く離れた宇宙の彼方にあって、星そのものが燃えている、あー、なんてことでしょう、そんな超絶不思議な物体が太陽さんなのです。

 

だいたい、大昔から燃え続けてるって、一体全体どういうことなんだろう。それに空気がないと火はつかない、ということは太陽には空気がある???あー、この世は何なんだろう、夜も眠れなくなりそうです。

 

そんな超絶摩訶不思議な太陽さんなんだけど、その神々しい光は、僕らを温め続けています。

 

窓辺の椅子に座って、日向ぼっこ、こんな時間はサイコーです、至福の瞬間。一日中、薄暗い自分の部屋でリモートワークしてると、そんな太陽の温かみが恋しくなってしょうがありません。

 

もしも太陽が燃え尽きちゃったら、僕らの世界はどうなるんでしょう?

 

ずーと夜になっちゃう、そんな生易しいものではないようです。気温は一気に氷点下になり、海も凍ってしまう、それに草木も光合成できなくて死に絶えちゃう、つまり酸素が生成されなくなり、人類というか動植物全部があっと言う間に滅亡してしまうということのようです。

 

うーん、そう思ったら、ますます太陽さんが恋しくなってきたというか、神聖なものに見えてきた。

 

そもそも「燃える」、つまり「火」って不思議なものだと思います。たまに焚火なんかするとずっと見続けちゃうもんね。

 

そんな不思議な太陽さん、知らないうちに僕らをずっと見守ってくれていたわけです。僕らは全然気づかないっていうのに、ありがたいもんです。

 

僕らは一人のようでひとりじゃないということですね、なんか、ちょっと元気が出てきた、ものすごく出てきた。

 

たまには太陽と一緒にまどろんでみることをお勧めします。もちろん見続けることはできないけど、感じてみましょうよ、新しい気づきがあるかもしれません。

 

正論なんていらない、自分で判断することが大事

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東京五輪パラリンピック組織委員会長の森さん、エライことになってます。

 

ご本人がどう思われていたかは関係なくて、女性蔑視と受け取られる発言をしたこと自体に弁解の余地はありません。まったく持ってNGなご発言だったと思います。

 

それにもかかわらず、謝罪会見で弁解、つまり言い訳(逆切れ?)しようとした訳ですから、火に油を注ぐというか、エライことになってしまった訳です、単に自業自得ですね。

 

これはこれで森さんご本人の問題なのでしょうがないとして、私が気になっているのは、どうしてここまで皆さん、森さんひとりを責め立てるのかということです。

 

テレビ、新聞、芸能人から政治家、一般の企業まで、すべての人や組織が、森さんをトンでもない奴だと非難しています。もう集団いじめを見ているようで不快です。

 

こんだけ騒がれたんだから、「あいつバカだなー」でいいじゃないですか、それなのに後からあとから森さんの発言を非難する声が出てきます。

 

まるで、非難しなきゃいけないような、非難しとかないと自分がまともな奴だと思われない、だから非難する、そんな雰囲気さえ感じられるのです。

 

この世に蔓延る、正論言っておけば大丈夫、責任逃れの足跡残し、そんな風潮です。

 

だいたい、非難してる人たちは、森さんの発言の全文見てるんですかね。「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言は、よく読むと、文科省から女性理事を4割と言われていることに対して出てきた発言なんですよね。

 

社会全般で女性の登用はまだまだ進んでいないのが実態、逆に女性だからというだけで役職に登用される人も出てきている、そういう人たちはおのずと競争意識が高くなるから、会議に出席した全員が他の人に負けじと発言しあう、結果、会議時間が長くなる。

 

森さんを擁護するつもりは全くありませんが、全文を読むとこんな風に受け取れます。

 

つまり、実力に関係なく単に女性の割合を増やそうとする文科省への批判、そして以前より女性登用を進めると言いながらもそうなっていない現実社会のギャップ、こんな感じです。

 

ちなみに発言の最後には組織委員会にいる女性を称え、欠員が出たら女性を選びたいみたいなことも言っていますね。

 

なんかねー、発言事態はNGなんだけど、ちょっと感じ方違いますよね。やっぱり、批判するなら自分自身でまずは確認して納得しないとです。これで森さんが自殺でもしちゃったらどうすんだろうって思います。

 

報道に踊らされることなく自分でしっかり考えていきたいね、ましてや人を批判するならなおさらです。そして何よりも、もっと鷹揚で、懐の深い社会になるといいな、そんなことを思います。

 

いつもの些細なことこそ考える、考えないことは罪なのだ

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この間ね、携帯型のクーラーボックスを買ったのです。

 

コールマンの布製の奴なんだけど、簡単に折りたためて、保冷性もそれなりにある優れものです。こいつをね、車のトランクに常時入れておくのでやんす。

 

なんでかっていうと、これさえあれば、いつでもどこでも氷さえ入れてしまえば、冷凍冷蔵品を購入してお持ち帰りできるからなんです。

 

僕はドライブが趣味だから、ふらふらとアッチに出かけコッチに出かけとウロウロするのが好きなんだけど、やっぱり行く先々で道の駅なんかがあると寄ってみるのですよね。

 

すると、なにやら食べてみたいものもいっぱいあるんだけど、冷蔵品はお持ち帰りできない、それで購入の対象外としていたのです。

 

そこでハタと気がついたのです。クーラーボックス、クルマに積んどきゃいいじゃん。

 

キャンプに持って行くような大きいのは邪魔になるので小さいのがいいな、そんなこんなで調べたところ、なんと折りたためるものがある、いやー無知って罪だな。

 

これがあると、ドライブがさらに楽しくなりました。

 

なんせお魚なんかの生ものだって買って帰ることができる。その土地の名産やらなんかも、牛乳やお肉なんかも持って帰ることができる、素晴らしやー。

 

しかし何でこんなことに気がつかないのかね。

 

クーラーボックスは冷たいものをキャンプに持って行くときに使うもの、こんな既成概念が思考をストップさせてしまうのです。

 

オッサンはただでさえ老化で物忘れが進んでいくというのに、考えること自体を放棄するとろくなことになりません。

 

やっぱ何事も、自分の頭で考える、思考する、これが大事よね。人生は修行なのだー。

 

「おむすび」を食べて原点に返る、幸せを知るとはこういうことかも

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「おにぎり」、「おむすび」って、なぜか旨いよね。マズい「おむすび」ってお目にかかったことがないような気がします。

 

白いご飯を握って、塩をまぶしてノリで巻いただけ、そんな「おむすび」だってなぜだか旨い。もちろん梅干しやら鮭やらおかかやらが入っていたら尚更です。

 

不思議なんだよなー、お椀によそられたご飯だけだとこんなに美味しく感じられないのに「おむすび」にすると途端に美味しくなる、これ如何に???

 

「おむすび」っていつからあるんだろうね。たぶんお米が発明された時代からあるんだろうけど、もう大発明だと思います。

 

こんな「おむすび」さん、最近はコンビニに行くともう何種類あるんだろうってくらいたくさんの種類がある。イクラが入ってたりすると、これって「おむすび」じゃなくて、お寿司じゃないの?そんなことも思うけど、何でもいいんだよね、ご飯にあうものなら何でもいい、それが「おむすび」様なんでございます。

 

こんな「おむすび」さん、僕の一番好きな「おむすび」は「お味噌」なんです。

 

具がお味噌なんじゃなくて、白い「おむすび」の周りにまんべんなくお味噌を塗りつけるの、それだけ。それだけなんだけど、なんとも美味しんだよねー。

 

きっと子供のころ夕飯までの時間、お腹の空いた時に母がつくってくれた「おむすび」、これがなぜだか美味しくて今でも一番好きなのです。

 

うちの家人は何それ?ってなかなか作ってくれませんが、きっと「おむすび」ってそういうもんなんでしょうね。それぞれの家で握られてきた味があるんだと思います。

 

ということで、今度のお休み、朝から「おむすび」握って出かけてみませんか。なんか新しい発見があるかもしれません。

 

最近はコンビニの「おむすび」しか食べてないなー、きっとそういう人も多いんではないかと思います。原点に返ろう!何か忘れものに気づくかもしれませんよ。楽しみでしょ。

 

セクシュアル・ヒーリング、おっきな声で歌って見ましょー

 

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映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」を見た。

 

以前から面白そうなんで、いつか見ようと思ってたけど、いつでも見れるや、そんな感じで今までほっといてしまった。

 

これって、我ながら悪い癖なんだよねー。

 

いつでも見れる、そう思って見ていない映画や本は他にもたくさんある。せっかっく買ったのに読んでない本やCDもある、買って満足しちゃうんだね、おバカさんな私。

 

で、この映画、とっても面白かったです。何しろハッピーエンドなのがいい。僕はどんないい映画やドラマでもハッピーエンドじゃないものは好きではありません。お子様なんです。

 

この映画の中で一番よかったのが、マーヴィン・ゲイのセクシュアル・ヒーリング、これをフードトラックの旅の最中にいい歳したおっさん二人が子供の前で熱唱するんです。

 

これがまた何ともな感じで、サイコーでございました。

 

ヒーリング(Healing)っていうのは「治療」とか「癒し」って意味だから、セクシャルな治療、癒しが欲しいって叫ぶこの歌詞は、もう直接的で、それをいい歳したオッサンが大声で熱唱するって、なんか笑っちゃうというか、あっけらかんとしていていいなーと思ってしまいます。

 

それにこの映画で使われているセクシュアル・ヒーリングは、「Hot 8 Brass Band」という人たちがブラスバンドで演奏しているカバーなんですね。

 

これがまた目から鱗でございました。ナントまーかっちょイイこと。この曲をこんな風にカバーしちゃうなんて、変な言い方だけどブラックミュージックの真髄を見たような気がします。

 

こんなの高校生が部活でカバーしたらサイコーにお洒落だね、もうモテモテ間違いない。あーそんな高校生活送ってみたかったー。

 

そんな妄想膨らむオッサンでございます、よーし今度、ドライブ行ったらクルマの中で大声で歌ってやる、チョー楽しみだー、きっとサイコーな気分になること間違いなし!

 

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鳥のように空を飛びたい?もっと楽しいことがあるかもしれないよ

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よく言われることだけど、鳥って空を飛びながら何を考えてんだろう。

 

僕らを見下ろしてどう思ってるんだろうね。あいつら地べたを這いずり回って何が楽しんだろ、きっとそんなこと思ってるに違いない。

 

空と飛ぶって、どういうことなんだろ、僕らだってハングライダーやらパラグライダーやら似たような経験をすることはできる、でも決定的に違うのが、自分の力、意志だけでは自由に飛べないということだ。

 

全速力で走ったり、何かを飛び越えようとジャンプしたり、僕らはそんな動作と同じように空を飛ぶことはできない。

 

空を自由自在に飛んでみたいなー、あー、鳥になりたい。そんなこと昔からよく言われている、人類共通の願いかもしれない。

 

でもね、空を自由自在に飛ぶって、そんなに楽しいことなのかな。本当は鳥に聞いてみたいところだ。

 

実はあいつらだって、地面を自由自在に歩いてみたい、走ってみたい、そしてあの海原を泳ぎまくってみたい、そんなこと思ってるかもしれない。

 

きっとねーみんな一緒だと思うんだよね、自分にないものを欲しがる。

 

僕なんて、いっつもそんなこと考えてるもんね、いいクルマが欲しいな、可愛い彼女が欲しいな、大きな家に住みたいな、ってね。

 

そんな僕らを見て鳥は笑ってるかもしれない、変なこと考えるんだなーって。僕らは生きてるだけ、ただ空を飛んでるだけ、それだけ。

 

そんなところかもしれない。

 

だからね、あの空飛ぶ鳥には何が見えているのか、まーるい地平線が見えているのか、そんなこと思ってないで、いま、自分自身が見ているものにもっと気づきましょーよ、そういうことです。

 

実は見ているようで見えてない、見えているようで見ていない、そんなことが、たくさんあるんじゃないのかなと思います。

 

人をうらやむ前に自分にできることはもっとたくさんあるってこと、ぼくはバカだからすぐ忘れちゃう。大空を飛ぶ鳥を見るたびに思い出すようにしよーっと。

 

 

所有する、それは自分自身の一部になるということ

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世はサブスクブーム、なんとあの帝国ホテル様も、宿泊のサブスクリプションを開始、ひと月の宿泊が36万円からとのこと。安いんだか高いんだかさっぱりわかりません。

 

そんなこんなで色んな業界で使い放題的なサービスが広まりつつあるようです。

 

でもなんか使わないと損、みたいな感じで、切迫感ばかりを感じてしまう貧乏性の僕としては、やっぱり必要なものは必要なだけ自分のものにしたい派です。

 

こんなサブスクですが、元祖サブスクの音楽配信サービス、AppleMusicやSpotifyなんかはすっかり市民権を得てしまいました。

 

しかもこの音楽サブスクのおかげで、最近は曲作りも変化してきているらしい。

 

曲のイントロが短くなったらしいんですね。なぜかというと、イントロが長いとスキップされちゃうから。。。なんともまー、セッカチさんが多いことで。

 

なんだかなーとも思いますが、昔はラジオで曲を流してもらうために、長い曲は敬遠されたっていうし、時代時代に応じて、その環境に応じた曲作りも必要ということなのでしょう。

 

俺の作る曲は作品なんだ、芸術なんだ、聴きたい奴だけ聞けばいい、そんなことができるのは一部の天才さんだけなのかもしれません。

 

でも、僕からしてみれば、自ら曲を作り歌詞を書きそして歌う、それだけで超天才だと思いますから、もっと自信をもって自由に素晴らしい曲を創造してほしいと思います。

 

まあ、世間様に認められなければ始まらない、どんな仕事でもそういうもんなんでしょうがね。

 

でもなー、さっきも言ったみたいに、曲でもクルマでも同じなんだけど、自分のもの、所有することで、満足感というか達成感が生まれてくる、オッサンな私はそう思うのです。

 

だって所有したものは自分自身の一部になるんだもの、僕自身を形成するひとつのパーツになるわけですよ。聖子ちゃんが好きな僕、ド根性ガエルが好きな僕ってね。

 

CDジャケット見て、ライナーノーツ見て、歌詞を見ながらその歌手、その曲のを受け入れ、自分のものとして感動する、やっぱりこうでありたいじゃないのよさ。

 

何言ってんの、アホなおっさん、そんなとこでしょうが、見て、聞いて、触って感動する。。。それが僕のものにするってことです、こんなこと思いますー。

 

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いつかは忘れる、でも感情はココロの何処かに蓄えられている

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プッチーニ「私のお父さん」、吉田羊さんのENEOSのCMで使われている、なんか久しぶりに聞いたな。

 

なんとも物悲しく、おセンチな気持ちにさせる、それでいながら、なんか未知との遭遇というか、得体の知れないものへの出会い、ワクワク感、そして切なさや悲しみ、何か知らないけど、そんな複雑な思いを感じさせる。

 

なんでだろ?

 

不思議だよね。きっと、自分自身、昔の経験の中で、知らないうちにこの曲を聞いていて、その時の感情が断片的に思い出されてるんだと思う。なんとも不思議な気持ちだ。

 

でもこんなことって、たまにある。

 

久しぶりに昔の曲を聞いたり、小説やマンガを読み返したときに感じたりする時がある。なんかその当時感じた匂いを急に思い出したりする。

 

でも具体的には全然覚えてないんだよねー。良い思い出なのか、悪い思い出なのかもわからない、それでもなんかしらココロに残っていることだけは確かなのだろう。

 

僕らのカラダ、ココロって不思議だなー。

 

もうスッカリ忘れちゃってる出来事なのに、その時の感情だけは、きっとココロのどこかに蓄えられているんだね。

 

そこにはきっと僕自身だけでなく、僕と関わった色んな人たちも格納されているんだろう。

 

なるほどなー、となると僕も誰かのココロの中で人知れず蓄えられているのかもしれない。それって素晴らしいことだよねー、できれば良い思い出として残っていてほしいもんだ。

 

そう考えると、良く死んじゃった人のことを私のココロの中で生き続けている、そんなこと言ったりするけど、本当のことかもしれないね。

 

そう考えたら、何か少し嬉しくなってきた。今はもういないあの人も、そしていつかいなくなるこの僕も、誰かのココロの中にある、残り続けるっていうことは素晴らしいことだ。

 

生きてる意味があるってもんだよね。もしかしたら生きるっていうのはそういうことなのかもね、あー人生はいくら勉強してもしたりないよー。がんばろー。

 

いつかは「いつか」でしかない、いつもは「いま」にしかない

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昔、ある米軍の飛行場で事故があり大爆発が起きた。

 

近所に住む人たちは、そこには核爆弾があると噂されていたから、この爆発は核に違いないと大騒ぎになったそうです。

 

仕事先にいたある人は、爆発を見て、すぐに逃げなさい、そう家族に電話をするのだけど、核爆発であれば逃げてもしょうがない、家族はそう言って、主人の帰りを待った。

 

ある家族は、その場にいた家族全員で正装に着替え、みんな一緒に最後の時を待った。

 

なんかね、昔の人は達観していたというか、肝が据わっていたというか、いやそれだけじゃない、なんか死に際に対する美徳、美意識みたいなものが強かったのではないかと思います。

 

自分の死に際に対して、恥ずかしい真似はできない、正々堂々とというとおかしいけど、これまでの人生を認め、感謝して、誇りをもってその時を迎える、そんな意識じゃないだろうか。

 

なんか潔いし、僕ら日本人としてはしっくりくる、きっと大昔からDNAに刻み込まれているんじゃないかと思う。

 

でもね、今の僕、僕らにそんな意識は本当にあるのだろうか。

 

危険が迫れば、真っ先に逃げ出すんじゃないだろうか、自分だけでもなんとか助かりたいと考えるのではないだろうか、愛する家族を守ることなんてできるのだろうか。

 

そんなことを思います。

 

僕らは今の日常、この退屈で変わり映えのしない日常がいつまでも続くと思っている、それでいて、いつもの平凡な日常、そして自分自身に嫌気がさしている。

 

もっと新しい刺激、新しい何かを求め、そしてそれを夢とか、理想とか、もっともらしい言葉に託して、何もしないで、願い求めている。

 

僕らに大切なのは「いま」なんじゃないだろうか。

 

普段頑張れなければ、いざという時に頑張ることなんてできない。練習で100%力を使い切ることができなければ、本番で100%の力を出すことなんてできない。

 

僕らに必要なのは、いま、この時間を100%の力で取り組むことなんじゃないだろうか。

 

そうしたら、いつ死んでも後悔なんかない、あとは恥ずかしくない堂々とした死に際を迎えるだけ。ありがとう、すべてのものに感謝して納得して自分の生を全うするだけ。

 

いつかは「いつか」でしかない、いつもは「いま」にしかない。だから今しなきゃいけないことがあるはず。なぜか今日、そんなことを思ったのでした。

 

君の「夢」はなんだ、僕の「夢」は。。。

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子供のころに思い描いた自分の「夢」って何だろう?

 

スーパーヒーローになりたい、お巡りさんになりたい、アイドルになってキャーキャー言われたい、総理大臣になりたい、プロ野球選手になりたい、プロサッカー選手になりたい、大金持ちになりたい。。。

 

全然思い出せない、というか、そんな「夢」を思い描いたことがない。そんなことに気がついた。

 

ナントも子供らしくない子供、だけど「夢」見てイイのは子供だけじゃない、大人になったって「夢」を持ち、その実現に取り組むことは全然おかしな話じゃない。

 

dream come true、巷では、誰もが夢を見て、それに取り組む姿が報じられる、ニュース、ドキュメント、ワイドショー、「夢」を持たない人間なんていない、そんな人間はまともな人間じゃない、そんな感じ。

 

今からでも遅くない、僕の「夢」を考えよう、そう思ってみたけど思い浮かばない。うーん、なんとなく感じてたけど、僕は社会不適合者なのかしらん。

 

そりゃーなれたらいいな、実現したらいいなって思うものはありますよ。お金持ちにだってなりたいし、カワイ子ちゃんからモテたいし、誰からも崇め奉られたい(?)、そんなことも思います。でも「夢」じゃないような気がするんだよなー。

 

「夢」ってもっと大事なもののような気がする。なんとなく「夢」が大衆化してるというか、一般化してるというか、そんな気がする。

 

「夢」を持たない、持てない人間のやっかみかもしれないけどねー。

 

でも「夢」と「目標」は違うような気がする。いい大学に入りたい、あんな仕事をしてみたい、それは「目標」であって、「夢」とは違うんじゃないか。

 

じゃあ、「夢」ってなんだ?

 

僕には、思い浮かばない。僕にとって「夢」とは、自分が思いもしなかったような感激、そんな体験を得ることだと思う。

 

だから「夢」は実現するまで、それが「夢」だったってわからないもの、そんなことじゃないかと思います。毎晩見る「夢」、それと一緒で見るまでわからないもの。

 

そんな「夢」が僕にとっての「夢」であってほしいな、そんなことを思います。あー、やっぱり僕はどこかオカシインダナー、ネジが外れちゃったにかなー、あーあ。

 

おじさんとイヌを見て思う、僕の日常はどんな日常なのだろうか

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先日の三崎、三浦半島ドライブ、サイコーだったんだけど、天気はあまり良くなかったんだよね。もう横浜横須賀道路を走ってる時から雨が降ってきた。

 

まあ、雨の日のドライブもいいもんだ、「レイニードライブ」、甲斐バンドの名曲を聞きながら、なんとも楽しいドライブの時間です。

 

雨はすぐにやんじゃって、菊名海水浴場に着いた頃には薄日も差し込んできた。海沿いの場所にクルマを停め、コンビニで買ったおにぎりを食べます。

 

まあ、緊急事態宣言中だからね、地元の人に嫌な思いされないように少しだけ気を使います。でもねー、海を見ながら、陽も差し込んできて、そんな中、おにぎりを食べる、なんとも贅沢な時間だよね。ホントそう思います。

 

海沿いを見ると、おじさんとイヌが散歩している。イヌも海になれているんだろうね、波打ち際ま行っては戻ったり、まるで小さな子供のようで楽しそう。

 

そのおじさんとイヌですが、何やらじゃれあいながら行ったり来たり。なんかいい光景でやんすなー、こんな日常が、あのおじさんとイヌのいつもの日常なんだろうなー。

 

僕なんかから見ると、ものすごく贅沢な日常を送ってるように見えるけど、おじさんとイヌからしてみたら、いつもの単なる日常なんだろうね、羨ましいや。

 

僕はどんな日常を送れてるんだろうか、他の人からどんな風に見られてるんだろうか、いや、他の人にどんな風に見られているかなんてどうでもいいんだけど、自分は自分で満足する日常を送ることができているんだろうか。そんなこと思っちゃった。

 

些細な日常、いつもの日常、だからこそ満足できる日常を送りたい。おじさんとイヌを見てそんなこと思った。

 

クルマを発進させようとして道に出ると、向かいに南風COFFEEというお店があった。休日なのか閉まっていたのだけど、なにやら聞き覚えのあるお店だ。

 

そうだ、横浜・F・マリノスの公式サポートショップだ、twitterなんかでたまに話題になっていて聞き覚えがあったんだ。

 

なるほどねー、こんな場所にあったんだ、当たり前だけど、色んな所に色んな日常があるんだよねー。今度お店がオープンしてる時に来てみようかな、そんなこと思う今日の一日なのでした。

 

ピーナッツ、落花生、文化は違えど大切な宝物たち

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ピーナッツ、落花生って美味しいよねー、皮をパリっと開けて、お豆ちゃんを取り出し薄皮を向いて食べる、そしてビールをゴクリ、サイコー至高の瞬間です。

 

でも国産の落花生って、なんでこんなにお高いんだろ?っていうか外国産と何でこんなに値段が違うんだろ。不思議だなー。

 

でも食べてみるとわかるんだよね、味が全然違うから。国産は丸々と太った脂肪たっぷりのお豆ちゃん、外国産は痩せてるし味も薄い。単純に美味しいものは高いということか、千葉県の落花生農家に感謝でありんす。

 

欧米では、ピーナツバターとか加工して食べることが多いもんね、中華料理だって鶏とピーナツを炒めたものとかあるし、日本みたいに落花生をそのまま食べる、その素朴な味わいを大事にするといった、食文化の違いからきているのかもしれません。

 

他にも落花生関連でずっと不思議に思ってたことがある、なんでスヌーピーのマンガのタイトルはピーナッツ「PEANUTS」って言うんだろうってこと。

 

子供のころ、英語の勉強になるから、スヌーピーの原書読むといいよなんて言われてから、ずっと気になっていた。

 

なので調べてみるとですね、どうやら著作権の関係で出版社がかってに「ピーナッツ(PEANUTS)」というタイトルを決めてしまったらしいです。何やら意味があるのかと思ってたけど以外よね。

 

それにアメリカでピーナッツには、「つまらないもの、ちっぽけなもの」といった意味があるらしく、作者のチャールズ・シュルツさんも気に入ってなかったようです。

 

なるほどねー、ピーナッツには「つまらないもの、ちっぽけなもの」って意味があるのか、そういう扱いだから、ピーナッツ単体としては大事にされず、ピーナツバターとかに加工して食べられたのかもしれないね。

 

でも、我々が常日頃から接しているピーナッツ、落花生は、それ自体がものすごく美味しいものだし、薄皮に固い皮に大切に守られた宝もののような存在だよね。値段も高いし。

 

だから何気にスヌーピーチャーリー・ブラウンなんかのことを総じてピーナッツと呼んでいること、日本人的にはしっくりきちゃうような気がする、「つまらないもの、ちっぽけなもの」と思われていても、実は「大切に守られた至高の存在」それがピーナッツ、落花生なのかもしれないから。

 

他にも、そういうもの、たくさんあるのかもしれない。人生は勉強だなー。落花生食べてビール飲んでお気楽に思い考える、そんな日々でござんした。

 

いつもの右を時には左へ、新しい何かに会いたければ自分から動く

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先日、三崎にマグロを買いに行ったのですが、目的はドライブでもありました。

 

ひとりクルマで好きに走るのは、サイコーなんだよね。いつもは横浜横須賀道路を逗子でおり、湘南海岸にぶつかると右に曲がり、海沿いの一本道をちんたら走ることが多いです。

 

この日は昼前に三崎に着きましたので、マグロを買った後、さて、どこをドライブしようか思案に暮れながらカーナビを見ます。

 

そこで思い立ったのが、今いる三浦半島の最南端、ここを左に折れて、いつもの湘南方面ではなく、横須賀方面の海沿いを走ってみようということでした。

 

考えてみたら、こっちはあまり走ったことないんですよね。

 

ということで、走りだしてみるとですね、イイんですよ、ステキなんですよ、素晴らしいんですよ、湘南海岸と同じ海沿いの一本道でありながら、開拓されてないというか、こじゃれてないというか、なんか地方に旅行に来たみたい、そんな感じなのです。

 

以前、広島に単身赴任をしていた頃、海沿いの田舎町をドライブしたことを思い出しました。あー、また行きたいなー、そう思ってたけど、あるじゃない近くに!

 

三浦海岸をボーっとしながら久里浜まで走ります。すると、そこにはペリー公園なるモノが。そうか黒船さんたちはここのやって来たのね、遠路はるばるご苦労様でございました。

 

その先を走ると、細長い運河のような場所に行き当たります、そう浦賀でございます。途中には西渡船場浦賀の渡し)なるものがあり、橋のないこの湾を船で渡ることができるようです。大人200円と書いてありました、うーん、なんか広島の呉を思い出すなー。

 

西渡船場(浦賀の渡し) - 神奈川 | MATCHA - やさしい日本語

 

そのまま走り続けると、観音崎、有名な灯台のある場所です。そして走水海岸(なんかここは北海道の様似という場所に似てるなー、海沿いも街でなんともいい風情なの)、その先には馬堀海岸へと続きます。

 

この馬堀海岸ねー、古そうだけど、こじゃれた集合住宅が海沿いに続くんだよねー。なんかアメリカの西海岸みたい、行ったことないけど。

 

なんか、こんなとこ暮らしたいなー、そんなことを思ってしまいました。

 

いつも見かける湘南の海、そこに立ち並ぶ瀟洒な家々、いつか住んでみたいなー、そんなこと思ったけど、本気で住むんならこっちの方がいいなー(もちろんお値段も全然違うだろうしね)。

 

なんか、まだまだ知らないことってたくさんあるし、考えることもいっぱいあるよね、いつもの右を左に向かったことで感じた、新たな思いなのでありんした。

 

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「背トロ」と「赤身」に思う、マグロさんありがとう!

 

 

先日、会社を休んで三崎にマグロを買いに行きました。

 

以前もマグロ丼を食べに行った話を書きましたが、時々、なんか無性にマグロを食べたくなります。きっと血が足りてないんだと思います(詳細不明)。

 

で、以前も訪れた、三崎にある「うらりマルシェ」に向かいました。この日は平日なのでガラガラです、もっと言えば世は緊急事態宣言中、お気らくな行動で申し訳ありませんが、行きも帰りもクルマですし、人もいない平日なので、まったく問題ないと思っております。

 

前回と同じお店に向かいます。そこには冷凍ケースに入った冷凍マグロ様と生のマグロ様が並んでいました。

 

マグロさんはそもそも冷凍されてやって来ますので、今朝獲れたての新鮮魚介ではありません。なので、どっちも一緒なのですが。今晩食べる予定ですので、既に解凍されている生マグロから選びます。

 

ちなみに冷凍されたものは、水につけて1時間くらい自然解凍させればいいらしいです。意外と簡単なんですね。

 

冷凍ケースに鎮座しているマグロ様はトロと赤身の大きく二種類。そしてその中間くらいのものなど、切り取られた部位によって多少変わるものがあります。

 

うーん、悩むな。。。

 

ということで、お店の人に聞いてみました。すると「僕が個人的に好きなのは、この背トロの部分かな」、お店のお兄さんはそう答えて、ちょっと違う場所に置かれていたトロの切り身を指さしました。

 

「背トロ?」

 

なんじゃそりゃ?そう思い、その切り身をよく見るとなんか他のトロの切り身に比べて、切り口が雑な感じがします。なんかきれいに切り分けられていない感じ。

 

お兄さんによると、マグロは、お腹の血合いの部分から背中に向かうにしたがってトロの部分が増えていくそうで、その一番背中の部分のトロが「背トロ」なんだそうです。

 

トロ中のトロということなんだけど、背中に向かうほど筋が増えいき、そのまま食べると触感が悪いので、一般的にはもっと内側のトロの需要が高いとのことです。

 

なんですが、このお店ではその「背トロ」にひと手間加えて、筋を切り落としているとのことでした。なるほど、切り口が雑に見えたのは、筋を切り落とした後だったのですね。

 

確かにお値段も他のトロよりお高めです。でもこれは食べねばと思い、この「背トロ」と「赤身」の柵を購入し、得意満面でお家に帰った次第です。

 

そのマグロ様がこちら!ドでちーん。

 

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うーん。。。まずは「背トロ」からパクリ。。。うーん、ちょっとビックリ。この「背トロ」、こんな美味しいトロ、」食べたことないっす。なんせ、大トロみたいに脂っぽすぎず、それでいて味が濃い。「赤身」の方も食べてみます、パクリ。。。これまた、美味しいこと。こりゃ高吸寿司店の味だね、行ったことないけど。

 

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ということで、家族全員大満足でござんした、お値段は「背トロ」が3500円、「赤身」が1500ともちろん高いんだけど、一回飲みに行けば5000くらいかかるもの、最近飲みにも行ってないし、いいじゃんね。

 

そのお値段で家族が幸せになるのだからね、こんなステイホームもたまにはいいでしょ、次の日から頑張って働きまーす。ということで、みなで目指そう三崎港、マグロを食ってココロもカラダも健康になりましょー!

 

続・シウマイ弁当に学ぶこの世の定理

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崎陽軒様の話の続きです。

 

僕の大大大好きなシウマイ弁当ですが、その完成されたおかずの中でも、何気に好きなのが唐揚げです。なんか独特な味なのですよね。いつも大切にとっておき、いつくしみながら食しております(大げさ)。

 

そんなシウマイ弁当の唐揚げ愛好家が他にもいるのでしょう、何と昨年、期間限定でこの唐揚げをメインにした唐揚げ弁当が発売されたのです。

 

うーん、恐るべし崎陽軒崎陽軒はシウマイだけにあらず。

 

実は、崎陽軒の駅弁はシウマイ弁当だけではなく、しょうが焼き弁当や、チャーハン弁当なども昔からラインアップされています。

 

これはこれで、イケるのですよねー。しょうが焼き弁当は昔はお肉にタレをかけて食べましたが、最近のものは、すでに味付けのしてあるしょうが焼きにグレードアップされておりました。

 

チャーハン弁当はね、スプーンなんかもついちゃってたりして、なんか食べてて楽しくなるんだよね。それにしても、チャーハンのお弁当何て普通考えなよね、すばらしやー。

崎陽軒 お弁当の配達(東京エリア) / 横濱チャーハン

そんな崎陽軒ファミリーですが、最近はお赤飯弁当や、中華弁当、そして季節限定弁当なども加わり、着々と進化を遂げているのでございました。

 

そんな中で見つけた、伝説の唐揚げ弁当です。もう期待値マックス、そんな感じで手に取りました。

 

うーん、うまい、やっぱりうまい、とってもうまい。だけど、なにか引っかかるのです、なぜか、なにかを失ってしまったような気がするのです。

 

何かというとですね、やっぱりシウマイ弁当には唐揚げが一つ、たったの一つだけ入ってるから、貴重なんですよ、いつくしんじゃうんですよ。

 

これがですね、いっぱい入っていると、大切なあの子は他にもたくさんいたんだ、そんな大切な僕だけのあの子を失ってしまったような、喪失感を感じてしまったのでございます。

 

うーん、我ながら自分、大丈夫か?そんなことを感じますが、気にしないでください。

 

ということで、大大大好きなシウマイ弁当の大大大好きな唐揚げがいっぱい入った、唐揚げ弁当で学んだこと、「大切なものはひとつでいい」そういうことでした。

 

これって、靴でも、クルマでも、洋服でも、おもちゃでも、そして大切なあの子でも、すべて共通した世の中の定理ではないでしょうか。only1ね。

 

シウマイ弁当を食べながら、そんなことを考える私、こんな奴、きっと世に私だけ、僕はどうかしてしまったのかしらん。

 

恐るべし崎陽軒、恐るべしシウマイ弁当。。。たすけてー。