「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

ヨーダの教え ~考えるな、感じろ~

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「考えるな、感じろ“Don’t think… feel…”」

 

スターウォーズの有名なセリフです。これ、いまの僕らに一番必要な言葉なんじゃないだろうか?そんなこと思います。

 

来週からお盆が始まりますが、今年は帰省を自粛する人が多いようです。小池都知事なんかも、今年の夏は「特別な夏」、そんな言葉で自粛を求めています。各地の首長さんも同様のことを伝えているようです。

 

でもね、こうも思うんです。今年の夏は本当に「特別な夏」なんだろうかって。

 

正確に言うと、今年の夏だけが「特別な夏」なんだろうかということ。実はこれからこのような夏はずっと続くんじゃないだろうか、僕らはこのウイルスとずっとつきあっていかなくてはならないんじゃないだろうか。

 

来年になれば、ウイルスもいなくなり、いつもの夏になる、そんな保証はどこにもないんです。それなのに今年だけ「特別な夏」って何で言えるんだろう?なんかウソくさいし、そんなこと言えちゃうこと自体がとっても不思議。

 

このウイルスと共存していくためにどうしたらいいのか、愛する家族と会うためにどうしなければならないのか、もっともっと真剣に考えなきゃいけなんじゃないかと思います。その解決策は決してオンライン帰省なんかじゃないと思うから。

 

今日、「新しいタイプの新型コロナウイルスが、6月以降全国に広がっている」こんなニュースが報じられました。これがウイルスの弱毒化ことを指すのか、そうでないのかわかりません。もしそうだったとしても、いつ強毒化したウイルスが現れるかわからないということでもあります。

 

今年の冬、僕らは一歩も外に出れない状態になることだってありうる。その時、仕事はどうするのか、生活はどうするのか、いまから真剣に考えなければいけない、そんな時期に来ているんだと思います。そういう意味では今年の夏は「特別な夏」なのかもしれません。

 

今日もテレビではニュースキャスターや、各地の首長が感染拡大を伝えています、今は我慢しましょう、そんなことを言ってるけど、我慢した後どうなるのかは、誰も教えてくれません。答えは僕らが見つけるしかないんだよね。

 

考えることは大事、でも感じることはもっと大事、きっとそういうことなんじゃないかな、夏真っ盛り、暑い太陽の下、人の言うことを信じるだけでなく、もっともっと自分自身で感じてみましょーよ、ねー。

 

なぜ伝えないのだろう ~感染者拡大が意味するもの~

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テレビの報道番組は今日も新型コロナのニュースばっかり。他に報じるべき重要な話題はないのかって心配になっちゃうよね。

 

そんな中でも、いくつか解せないことがあるんです。一つは、最近になって感染者数が再び増えてるけど、なんで重症者数は増えていないのかっていうこと。

 

これは2月とか3月は検査している人が単に少なかっただけで、本当は感染者は何千人もいたということなんじゃないだろうか。ここを明らかにしないと毎日発表される感染者数の数だけ報じても、一喜一憂しても何の意味もないと思う。

 

二つ目は緊急事態宣言を再度、発令すべきだっていう人がたくさんいるけど、4月の宣言の結果どうなったかってことです。いっときは感染者数が減ったけど、また増えてきてるってことは、効果がなかったってことなんじゃないのかしらん。

 

要は新型コロナとは、うまくつきあいながら生活していくしかないってことが明らかになった、そういうことなんだと思います。だから感染予防とか、病院機能の増強とかの対策にもっと舵を切るべきなんだと思う。もう保証とか政府の責任とか言ってる時期じゃないってこと。

 

そして三つ目は、政府の責任を指摘する人がとっても多いってこと。なんで罰則付きの休業命令を出さないのか、早く法改正すべきなんて言ってる人がとても多い。テレビで菅官房長官が人権の問題があって特措法の改正は難しいって言ってたけど、この人の方がよっぽど正しいことを言ってると思う。

 

政府の権限を強めることを求めるなんて、やっぱり日本人って、何か強いものに従っちゃう国民性があるんじゃないだろうか。あの戦争はなぜ起こったのかってことです。実は政府もわかってるんじゃないかな、今はいいけど、将来、独裁を求める政治家が出てきたらマズいぞと。

 

世界を見渡しても、新型コロナ対策で効果を発揮しているのは政府が強権を発動して、それに従う国民のいる国が多いと思う。日本はそのような国になってほしくないし、そうなっちゃいけないと思う。

 

僕らは試されてるんだと思います、だからもっと気づかなきゃいけないし、もっと勉強しなきゃいけない、マスコミにももっと頑張ってほしい、ホントそう思います。

 

ラジオって面白い ~人と繋がるひとりの時間~

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GoTo松本の旅、久しぶりにラジオを聞きながらのドライブ。そういえば、ラジオってクルマに乗ってる時以外に聞いたことないな、だからなのか普段聞くのは土日の番組がほとんど、福山雅治山下達郎さん。

 

この日は平日、しかも祭日なのでホリデイスペシャルと銘打ち、なにやらドライブ関連の話が放送されていました。その中で登場したのが女優の北乃きいさん。この人の話がとっても面白かった。

 

このひと、とてもクルマ好き、ドライブ好きなそうです。好きなクルマは?と聞かれて四駆、セダンと即答し、一人ドライブ最高、第三京浜最高とハスキーなお声で仰っていました。

 

なんか、クルマに対する感じ方とか、考え方とか、僕と通ずるところがあって、とても面白かった。たぶん走り屋とかそういうんじゃなくて、純粋に車を走らせている時間が好き、そんな感じです。

 

クルマのない生活なんて考えられない、クルマを所有するためだったら、バス・トイレが一緒の部屋でも我慢するなんてことも仰ってました。面白いね、このひと。思わず渋滞中だったので、スマホでどんなお顔をされているのか調べてしまったほどです(知らなくて、申し訳ありません)。

 

北乃さんの話が面白かったっていうのもあるのですが、ラジオっていいな、面白いな、改めてそんなことに気づいた次第です。なんかパーソナリティの人たちの会話にいつの間にか自分も入ってる、そんな風に感じます。

 

単なる暇つぶしの手段じゃない、この人たちの話を聞きながら、一緒にドライブをしている、そんな不思議な感覚を感じてしまいました。

 

もしかして、一人旅が寂しくて、誰かとの会話を求めてる?そんなことも思いましたが、ちょっと違うようです。あくまで一人でいながら、他の人と繋がる、そこでの出会いに嬉しさや楽しさを感じる、なんかそんな感じなんですよね。

 

これからもドライブに出かけたら、iPhoneばかり聞かずにラジオも聞いてみよう、新しい出会いがあるかもね、そんなことに気づいて嬉しくなる私です。

 

北乃さんのクルマ話、面白かったのでその夜、radikoでリピートしてしまいました、それにしても便利な世の中になったもんだー。

 

書くこと伝わる思い ~清春芸術村にて~

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GoTo松本の旅、清里から松本に向かう途中、「清春芸術村」という場所によりました。観光地には寄らないドライブ旅と言いながら、ここだけは寄りたいと最初から決めていたのです。

 

以前、来たのは20年以上前だと思うんだけど、なぜか印象に残っていた場所。ここは、、武者小路実篤志賀直哉を始めとする白樺派と呼ばれる人たちが作った美術館やらアトリエなんだそうですが、緑の芝生に囲まれた場所にあり、この土地の雰囲気と相まって、独特な空気に囲まれています。

 

施設内には美術館やら図書館やら、レストランなんかもあります。外の芝生にも芸術作品や、なぜだかエッフェル塔の階段なんかもオブジェのように飾られています。

 

それにしてもガラガラなんですね。入口で入場料金を払おうとするのですが、誰も人がいません。仕方なく勝手に中に入りウロウロしてたら、女の人がすみませーんと走って来ました。4連休中なのにね、なんか、とっても牧歌的な雰囲気です。

 

清春白樺美術館に入ると(ここも貸し切り状態)、そこには白樺派と言われる人たちの描いた絵などが飾られていました。ゴッホの複製画などもあります。

 

その中に武者小路実篤さんの書いた自筆の原稿が飾られていました。この人、小説家だと思っていましたが絵も描かれたようです。ご自分の自画像なんかが飾られていました。

 

自筆で書かれた原稿は、汚い字で殴り書きされており、そこには絵を描くことのすばらしさが書かれていました。

 

自分は小説で食べることができるようになって、そのおかげで自分が描いた絵も少しは注目してもらえるようになった、でもそれはあくまで絵に対する注目ではなく、小説家が描いた絵であることに対する注目である。それでも絵を描くことは、小説を書くこととは違う「魅力」がある。

 

そんなことが書かれていました。他愛もない文章なのですが、武者小路実篤という歴史的な小説家が自筆で書いた文章を見て、なんか純粋に一人の人間の思いをそこで感じとった気がしました。絵を描くことが好きなんだな、楽しいんだな、嬉しいんだな、そんな思いが伝わってくる気がしました。

 

何でもそうだけど、思いを伝えることに有名か有名じゃないか、高尚な内容かそうじゃないかなんて関係ないんだと思います。そこに自分の思いがあること、それに尽きるんじゃないかと思います。

 

僕の書いたこんな雑文でも何処の誰でもいいから、何か思ってもらうことができたら、それはそれはステキなことだよな。文豪の書いた文章を見ながら、恐れ多くもそんなことを思い感じる清春芸術村だったのでした。

 

GoTo ゴーゴー ~おひとりさまの時代~

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先月の4連休、松本に行ってきた。目的はドライブ、もちろんの一人旅で、始まったばかりのGoToキャンペーンを利用してみた。

 

このキャンペーン、色々と批判されてるけど、コロナで疲弊した経済の再興、特に地方振興を目的にしたキャンペーンだもの、積極的に使うべきだと僕は思います。なんてったって、ホテル代が35%オフ、4連休なので一泊一万円以上する宿が7千円程度で泊まれてしまうのです。

 

僕の目的はドライブなので、基本、人が集まる場所には行きません、夜も地元のスーパーで食材とお酒を購入してホテルの部屋でひとり食事、つつましやかなもんです。

 

それでいて、ワインやらブドウやら桃やら地元の名産をたくさん買い込んで帰ってきました、安くなったホテル代を充当した形です。キャンペーンの正しい使い道でしょ。それにしても、プルーンって初めて食べたけど美味しんだなー、いい歳してささやかな発見、嬉しいよね。

 

ちなみにこの4連休、全日、雨でございました。それでも構わないのです、なんせ目的はドライブなのですから。同じような人も多いみたい、渋滞する中央高速では、フェラーリ360モデナやらBMのかっちょいい4シリーズやらスキモノ感満載のクルマたちを結構見かけました。

 

僕は高速を韮崎で降り、清里の方を一回りして、そのあと下道で諏訪湖を経由して松本に向かいます。途中、諏訪湖が見える展望台によりましたが、観光に訪れたと思わしき若者でいっぱい。ちなみに松本の街中を歩いているのも観光客らしい若者ばかり、なんか若年層に感染が広がっているというのもわかる気がします。

 

まあ、若者だけじゃないんでしょうけどね、次の日の松本城天守閣は80分待ちだったそうですし、戸隠などのお蕎麦屋さんはどこの店も大賑わい、家族連れを中心にたくさんの人が並んでいました。

 

まあ、人それぞれですからね、自分のことは自分で気をつける、責任もって気をつけるしかないんだと思います。兎にも角にも、人様にご迷惑をかけないことが大事だと思います。

 

それにしても、信州には素敵な場所がいっぱいあったなー、特にスキー場で有名な白馬はステキなところでした。冬はスキー客で大賑わいなんだろうけど、こういう場所、夏には夏の良さがあるんだよね。街道沿いには湖がいくつかあったんだけど、その色のすばらしさ、こんな美しい湖、初めて見たよ、ひとりそんなことを呟きながら走ります。

 

ひとりで旅行なんて寂しくないのかって?それが全然、そんな風に思いません。僕の親友はクルマなんですね、なんか自分の一部分、分身みたいなもの、そんな彼と気兼ねなく過ごせる贅沢な時間なんです。

 

そういえば、初日の諏訪湖から松本に向かう道、なんと、朝、中央高速で見かけたフェラーリ360が向こうからやって来るではないですか。たぶん、ドライブを終え、帰るところなんだね。そのあと、同じ朝に見たBMのかっちょいい4シリーズともすれ違いました。

 

同じような行動してる人っているんだよね、勝手に親近感がわいてきちゃいます。

 

なんかね、親友ができるかできないって、結局、学生時代に出会ったか出会わなかったかの違いでしかないんだと思う。だから、もし、こんな人たちとどこかで出会ってたら、僕の人生も変わってたりするのかもしれない、そんなこと思ったりしちゃったGoTO松本ひとり旅なのでした。寂しくなんかないんだから!

 

信じるか信じないか ~Jリーグ再開の幸せ~

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Jリーグが再開した。

 

それにしてもリモートマッチって変な名前だよね。どうして、小池百合子さんといいい、みんなキャッチーな名前をつけたがるんだろう。なんか本質から離れて、誤魔化しや隠してる感をすごく感じちゃう。こういうのは気をつけなきゃね。

 

そんなこと言ってもJリーグのある日常はいいものです、しかも週二回も見れる。スケジュールが圧縮されてしまったので、選手は大変だろうけど、見てるほうは単純に楽しみが増えて嬉しい、やっぱりスポーツはイイもんねー。

 

そんなJリーグ、変則スケジュールとなった影響で、ルールにも変更があります。今年から始まる予定だったVARが延期されたり、選手交代が3人から5人になったりなんだけど、一番大きいのはなんてったって降格がないこと。

 

これってスゴイことです。どんなに成績が悪くても降格することがないっていう安心感、これをそんな保険的な意味合いで感じるか、それともポジティブに使おうと感じるか、それによってチームの今後が大きく変わってくると思います。

 

我らが横浜F・マリノスは二年前、アンジェポステコグルー監督を招聘し、それまでの堅守から攻撃主体のアタッキングフットボールに大転換を図りました。見ていて面白い、ワクワクするサッカーなんですけど、最初の年は戦術がハマらず、チームは創設以来いちども降格したことがないのに低迷を続け、なんとか残留するようなホントすれすれの状況でした。

 

そんな中でも、監督も選手もサポーターも、このサッカーの可能性を信じて、貫き通した結果が昨年の優勝なんですよね。これは、このブログでも何回も書いてきました、うーん、いま思い出しても泣けてきます。

 

blue-jk.hatenablog.com

 

でもね、もし初年度に降格してしまっていたらどうなっていたでしょう、そのまま監督に任せ続けることができたのか、主力選手が移籍してしまったのではないか、あのアタッキングフットボールを続けることはできなかったのではないか、もちろん昨年の優勝だってないわけですからね、そんなことを思います。

 

そう考えると、今年は降格がないのですから、チームは色んな可能性にチャレンジできるわけなんです。さてさて、そんな未来に向けて舵を切り直すチームはどこなのか、そんな観点でJリーグを見ると、さらに面白いと思います。

 

開幕三連敗のチームが3つあります。清水、湘南、そして鹿島です。この辺のチームが怪しいね、今後の展開、そしてチームの方向性をサポーター含めた関係者が信じられるのか、試合だけじゃない、そんな戦いも見ものです。ビバJリーグ!ビバF・マリノス

 

お題「#応援しているチーム

稲垣栄洋さんに感服する ~シンガーソング・ライター・ダンサー~

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新聞を読んでいたら、僕の敬愛する稲垣栄洋さんのインタビュー記事が出ていた。なるほど、こういうお顔なのか、なんか自分のやりたいこと一筋で生きてきた感を感じる、失礼ながら褒めてます。

 

「面白くて眠れなくなる植物学」「生き物の死にざま」特に後者はベストセラーになっているようなので、読んだ方も多いんじゃないでしょうか。ちょっと切ない物語調で生き物の生きざま、死にざまを表現している素敵な読み物です。

 

それにしてもこの人、植物だろうが動物だろうが、生きているものすべて、というか生命そのものが好きなんだろうね、その研究を貫き通している姿に感服します。

 

この人のすごいところが、文章力ですよね。難しいこともわかりやすく、面白く伝えることができる能力が大変高いと思います。加えて、先の「生き物の死にざま」です。物語も書ける表現力をお持ちになられたとは驚くばかりです。

 

自分で曲を書いて、詩も書き、自ら歌い踊る、シンガーソング・ライター・ダンサー(コピーライトby岡村ちゃん)ばりの表現者だと思います。

 

こういう方の書物を読むたびに、難しいことを難しく書くなんてたいしたことじゃなくて、難しいことを優しくわかりやすく楽しく読ませることが優れた仕事なんだと思いいたる次第です。

 

そんな文章が書けたらいいな、そう思いながら今日もパチパチ雑文を書いてる私なのでありました。失礼しました。

 

何のために生きるのか ~自分のために生きるのです~

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「音楽なんて人と比べるもんじゃない、どう楽しむかは君の自由だ」

 

何のとりえもないと思い悩む主人公がギターに興味を持ち、たまたま教室にいた音楽の先生に教えてもらうことになる、でも、主人公はこれまでの人生を振り返り、「どーせ俺なんかたいしてうまくなれないし」そんなことを言ってやめようとする。それに対して先生が言ったのが冒頭の言葉だ。

 

これは「今際の国のアリス」というマンガの1シーンなんだけど、なんかねー、とっても同意しちゃった。

 

そうなんだよね。音楽でも絵でも小説でもスポーツでもこのブログなんかでもそう、別にプロになれるわけでもない、人に褒められるわけでもない、何かの賞が取れるわけでもない、だから手を抜いちゃう、こんなもんだと諦めちゃう、そういったことが僕の人生で何度も繰り返されてきた。

 

なんかね、どこかで期待してるんだ、人から称賛されたい、僕だけにしかできないものを見つけたい、それを仕事にして生きていきたいってね。

 

でもその前提にあるのは人と比べて優れた自分であるっていうこと。なんて厚かましいんだろうね、夢を見るならひとりで見ればいいのに、常に相手のことを考えてる、だから僕はそんな自分をいつも誤魔化しながら生きてきた。

 

この言葉でそんなことを再認識した。楽しいからやる、自分がやりたいからやる、それでいいじゃないのよね。何で一番になる必要があるのっていうか、何で人と比べて優れた自分であろうとするのさ。

 

アザトイヨネ、そんなこと思った。でもこんな時、いっつもこう思う、思うことにしてる、良くそれに気がついた、自分で気がついた、偉いぞって自分を褒めてあげる。

 

生きることってそうじゃないかな、楽しいから生きる。人よりいい生活を送りたいから生きるんじゃない。だから楽しく生きたい、それでいいよね、ホントそう思います。

 

保守と革新 ~「夜の街」と「東京アラート」~

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「夜の街」ってなんだ?

 

接待を伴う飲食店、ライブハウス、ナイトクラブのことを言うらしい。うーん、いまひとつピンとこない。一般的に使われている用語を使えばいいのに、ナイトクラブってどういう店のことを言うのだろう?接待ってお店の人が接待?接客と何が違うのさ。

 

コロナウイルス感染防止のための指針が示されたそうだけど、うーん、これもどうなんだろ。カラオケ歌う時はマスクしてとか、店に連絡先を伝えるとか、普通しないでしょ、そんなこと、そう思います。

 

やっぱり政治家さんが使う言葉って特殊だよね。そういう意味では世間ずれしてるってことなのかな。確かにキャバクラだって、ホストクラブだって、行ったことない人がほとんどでしょうからね。知らずに言葉を使うから、世間ずれした表現になっちゃう。

 

そういう意味では、たまにそういうお店に通っていて、スキャンダルになる政治家や閣僚は世間ずれしてないってことかもしれません。この際、もっとアピールしちゃえばいいのにね。

 

改めて見ると、「夜の街」「ナイトクラブ」って昭和感のある言葉だと思う。演歌的と言ってもいいかもしれない。

 

だから、小池百合子さんなんかは敢えて使っている。そういうお店を知ってるくせに、敢えてそういう言葉を使うことで、昭和で演歌を愛する人への見られ方を意識している。スナックのママ的な立ち振る舞いですね、支持者の期待は裏切りません。

 

この人は、加えて珍しい洋風言葉を使ったりしてる。ワイズスペンディングとか、ロックアウトとか、東京アラームとかね。これはこれで、若者や革新的な人に受けようとする魂胆が見え隠れする。カイロ大卒なんてのも、他の人と違う感を醸す大事な要素だと思います。

 

そう考えると、この人は常に自分が人からどう見られているか、どう見せたいかを意識して行動している人なんだろうね。日常のすべてが選挙活動、そんなところでしょう。たいしたものだと思います。

 

都知事選も公示されたようですが、なんか目新しさに欠けますね。ドクターも出馬しないようですし。都道府県って市町村と違って住民向けの実務が少ないから、その首長たる知事もお飾りが多いんだよね。僕らは雰囲気に流されちゃいけない、そう強く思います。

 

しっかり選びましょうね。一緒に新しい社会をつくる人ですからね。

 

演歌とロックとあいみょん ~いいものはいい、それだけ~

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王様のブランチを見ていたら、サザンオールスターズの無観客ライブ配信のニュースをやっていた。佐藤しおりさんをはじめとした出演者たちが、サザンの映像、ヒット曲を見てホント嬉しそうに楽しそうに盛り上がっていた。

 

桑田佳祐っていくつなんだろ、もう60歳近いんじゃないかな、調べてみたら64歳だった。64歳の歌う歌を20歳の子たちが大喜びで聞いている、これってすごいことだと思っちゃう。

 

僕らの子供のころ、親が聞いていた音楽は演歌だった。五木ひろし細川たかし八代亜紀などヒット曲も満載だった。4~50歳の聞く音楽は演歌と決まっていた。

 

いまの4~50歳はたぶん演歌なんか聞かない。サザンも聞くし、あいみょんも聞く。そして今の若者も同じ、Official髭男dismも好きだし、王様のブランチの出演者たちと同じようにサザンだって大好きだ。

 

なんか時代って変わるんだね、個人の趣味趣向は別にして、文化ってこういう風に時代とともに移り変わっていくんだな、あらためてそう思う。

 

考えてみれば、ローリングストーンズのミックジャガーは76歳だし、エアロスミスのスチーブンタイラーだって72歳で、既に完全なおじいさん。海外では30年前から4~50歳の人も若者も同じ音楽を聴いていたわけだ。

 

イイモノはいい、単純にそういうことだと思う。そう思い、あらためて演歌を聴いてみると、これがいい。前川清なんて歌い方も含め最高だ。まだまだ知らない、気がつかないこといっぱいあるんじゃないか、そんなこと思う。

 

そうそう、八代亜紀さんのっていくつなんだろ、調べたら69歳だって。ん?桑田佳祐と大して変わらないんだな。僕らは先入観とか思い込みで物事を判断しがちだ。モッタイナイことしてるんだな、そんなことに気がついた。

 

想像力をゆだねる楽しさ ~可能性の宝庫~

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高校生のころ先生に言われたことを覚えている。「本を読みなさい」、それだけじゃなくこう言われた、「マンガではなく本を読みなさい」。

 

この先生が言うには、マンガはページを開いた瞬間その先の場面まで絵が描かれているので、想像力が働かない、だから本を読む、ただ本を読むのではなく、自分自身で想像力を働かせる必要があるから本を読む。そう言っていた。

 

なぜか印象に残っていて、ずっと記憶に残っていた。だからと言って本ばかりを読んでいたわけでもないのだけど、あまりマンガっていいもんじゃないんだな、そんな風に思っていた。

 

そんな僕だけど最近、マンガをよく見るようになって、マンガに対する考え方が変わった。これは本とは違う表現の一手段だと思うようになった。

 

マンガには想像力をゆだねる楽しさがある。だから低俗なものはとっても低俗なものにもなってしまう。逆にその想像力を最大限に使い倒している素晴らしいマンガもある。見事に表現の花を咲かしているマンガがあるということを知った。

 

マンガってどちらかというと若い人向け、頭を使わないで読みたい人向けのものと思ってしまっていた。実際、世間一般ではそういうイメージを持ってる人が多いのではないだろうか。

 

それはさっきも言った通り。マンガの持つ想像力のゆだねやすさ、伝えやすさが、単なる刺激的な描写によって、読者の感情を煽ることに使われてしまっていることに起因する。

 

単純に言えば不必要にエッチなシーンが多すぎるってことです。低俗なわかりやすさをビジネスにしてしまっている人達が多いということ、それが問題だと思います。

 

なんか、モッタイナイね。マンガってもっともっと可能性があるような気がする。想像力をゆだねるという意味では映画だって同じだ。映画はアカデミーやカンヌなんかがあって芸術作品として認められている。

 

マンガを同じような文化にするためには、業界としての取り組みが重要だと思う。それには残念だけど、低俗を売りにすることをやめる、そういう出版社の見識が求められるのではないだろうか。

 

多くの可能性がマンガにはあるのは間違いないと思う、出来ることはたくさんあるんじゃないかな、そんなことを思います。

 

免疫力を高める ~みんな一緒、相手も一緒~

 

「急に触らないでくれる、すぐ好きになっちゃうから」

 

テレビのバラエティ、ダレノガレ明美さんに腕をつかまれた芸人のせいやさんが、こんなこと言っていた。うーん、何かわかるなー。もしかしたら、モテない人にしかわからないかもしれない、でも実によくわかる、そういうことだ。

 

こういうのも免疫なんだろうな。モテた経験の多い人や、女の子と付き合った経験の多い人にとっては何でもないこと。経験によって免疫を持っているから。でもそうでない人にとっては、電気が走る、手を触れられただけでウイルスに侵されてしまう感じ、残念ながら僕にはよくわかります。

 

こう考えると免疫ってとっても大事なことかもしれない。だから免疫を得るためには経験を得る必要がある、それによって自分が変わる、より強い自分になる。経験なしに免疫だけをつけるなんて本来無理なこと。

 

猛威を振るう新型コロナウイルス、未知のウイルスだから誰も免疫を持っていない。僕らはウイルスに対抗できる免疫力を持たなければならない、そのために経験を積まなければならない。でも免疫をつける前に死んでしまっては元も子もない、だからワクチンを求める。

 

もちろん、モテるモテないと感染症とを一緒に考えてはいけない、だけど共通していることもある、免疫をつけることが自分を救う方法だってこと。

 

感染症だってワクチンに頼ってばかりではいけない。僕らは僕らの免疫力を高める必要がある、未知の攻撃にも備えられるように鍛えなければならない。

 

僕らは免疫力を高めるために色んな経験をしなければならない、でも全てができるわけではないから、本を読む、映画を見る、色んな人と色んな会話をする。そういうことだ。

 

僕らはモガキナガラ生きている、みんなで協力し合いながら生きている、もしかしたら新型コロナウイルス、奴らも同じかもしれない。

 

withコロナって、そういうことなんだろう。そう理解できるとできないとでは大きく違う。自分のことも相手のことも、僕らはもっともっと知らなければならない、そういうことなんじゃないかと思う。

 

芸人のせいやさん、単にモテ免疫を持っていない人だと思っていたら、オンラインでわいせつ行為してたとかなんとか。彼なりの免疫力を高める手段だったのかもしれないけど、手段と経験は選ばなきゃね、そう思う。

 

迂闊な人たち ~選挙違反に賭けマージャン~

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現役国会議員の河合夫婦が逮捕された。公職選挙法違反容疑、要は買収ですね。

 

しかしねー、この人、昨年まで一時ではありましたが法務大臣ですよ、この国の司法を司るトップ、その上、議員の一番の専門分野である選挙での犯罪ってどういうことなんでしょう。わかっててやったのか、わからなくてやったのか、どちらにしても、はてなマークが無限大です。

 

賭けマージャンで辞職した黒川検事長しかり、その道のトップ、専門家のあまりに迂闊な行動です、これってこの人たちだけなんですかねと思ってしまいます。

 

実はこれらのことって、日常茶飯のことであって、検挙されるかされないかは、告げ口されたかされないか、人徳があったか無かったかだけなんではないか、そんなことを思ってしまいます。

 

河合夫妻も県議や首長に選挙支援を目的に現金を渡してたっていうことですが、「領収書」をもらってれば「寄付」扱いで選挙違反にはならないそうです。これっておかしいよね。

 

「寄付」扱いであれば、いくらだってお金をばらまける、実質的に買収できるってことですもんね。アメリカの大統領選挙なんかも一緒なのかな、選挙は金がかかるってこういうことなんですね。

 

だから、本人にとってみれば、こんな当たり前のことでなぜ逮捕されるのかってことなんでしょう。自分の立ち位置とか、世間や人にどう見られているかっていう客観性が無いんですね。

 

でも逆の見方をすれば、うまくやっている人が大多数ってことでもあります。河合夫妻や黒川さんは、よく言えば不器用で小細工をしない人だった、そういうことなのかもしれません。人間的にはこういう人の方が信頼できるような気もします。

 

それでも新聞なんかを見ると、ご本人たちの人間性を否定するような記事で埋め尽くされています。本当なのかね、不倫で自粛に追い込まれた芸人の渡部さんも、イタシタことは別にしてひどい書き方されてますけど、魅力があるからこれだけテレビに出演していたんでしょうにね。

 

ミスを犯した人を集中して叩く、正論だから叩いておけば自分が正しく見えるし安心、そんな意識が垣間見えてキライです。少なくとも犯罪(ミス)と人間性とは切り分けて報道してほしい、そう思います。

 

僕らも一部の意見や報道を鵜呑みにしないで、自分で判断しなきゃね、そんなことを改めて思い感じる今日なのでした。

 

地震はいつかやって来る ~野性を磨きましょう~

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おっきな地震が来るかもしれない、そんなことがあちこちで言われてます。確かに最近多い、なんか日本中のあちこちで震度4くらいの地震が起きているような気がする。

 

なんか三浦半島で広範囲に異臭騒ぎがあったなんてニュースもあった。地中がうごめいていて、それが土や泥を動かして異臭を発生させている、阪神淡路の前にも関東大震災の前にもそんなことがあったなんて言われている。

 

思い起こせば子供のころから、近いうちに東海地震がやって来ると言われていたけど、まだ来てない。それどころかいつの間にか、東海地震という名前すら聞かなくなった、南海トラフとか、首都直下型とか、そんな風に言われている。

 

いつも地震が来た時に思うことがある、揺れ始めたとき、とうとう来た、来てしまったんだ、これは大地震に違いないってね、でもそう思ってる中で揺れは段々収まり、違った、よかった、そんなことを思う。そんなことの繰り返しだ。

 

でもいつかやって来るんだろうね。それが今日なのか、明日なのか、わからない。でも僕らだって昨日までの僕らではない。関東大震災のころの僕らではない。だから油断しちゃだめだけど、必要以上に恐れることなく準備しておくことが大事、それに尽きるんだろう。

 

6月のはじめ、駅から緑道を歩いて帰る途中、なにやら足もとに黒光りするものが。。。何かと思ってよく見ると、それはそれは美しいノコギリクワガタちゃんでした。

 

何でこの時期にノコギリクワガタちゃんがココにいるのでしょう。しかもなんか弱弱しい動き。季節間違えて、土の中から出てきちゃったのかしら。道の端っこの草場に逃がしてあげましたが、不思議だよね、この時期に。やっぱり地中で何か起きているのかも。

 

もしかしたら、僕らも耳を澄まして集中してみると何かに気づくかも知れません。よく大地震の前には動物がいつもと違った行動をするなんて言うものね。僕らもこの地球に住む一員なのだから、きっと何か感じ取れることがあるのでしょう。

 

気づき感じる、いつも思ってることだけど、何のために気づき感じるのか、一番大切なのは生きるため、そんな野性がまだ残っているのか、そんなこと思う今日この頃なのでした。

 

居間の主役をイノベート ~テレビの次はテーブル~

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12.9インチのiPadで見開きのマンガを読むのは思いのほか快適だ。このiPadはマンガを読むためにあるのかもしれないと思っていたら、もう一つ適したものがあった。それは雑誌。

 

NTTドコモが提供するdマガジンという雑誌読み放題サービスに加入したの。なんと月400円で雑誌が読み放題になるサービス。

 

以前使ってたフツーのiPadでお試しサービスを使ってみたことがあったけど、10インチくらいのタブレットで雑誌を読むのは厳しいのですよね、拡大しながら読むのが面倒くさいと感じました。

 

それがなんとなんと12.9インチのiPad様では、フツーに紙の雑誌を見るように読むことができるではないですか。しかもクルマ雑誌やファッション雑誌、週刊誌、ビジネス誌と一通りのものが揃っております。

 

これで月400円というのはどういったビジネスモデルなんざんしょ。もしかしてこういったデカいタブレットで見る人を想定していないんじゃないでしょうか。だからあくまで紙の雑誌を購入する人が一定数いる前提で、それを補足する立ち位置で提供しているサービスなんではなかろうかと想像します。

 

このサービス自体で儲けるのではなく、ドコモとか楽天とか、自分たちの経済圏に誘い込むためのツールなんでしょうね。これから12.9インチiPadで雑誌読む人が増えてきたら、間違いなくこのサービスなくなると思う。そんな気がします。

 

やっぱりデッカイことはいいことだな、改めてそんなことを思います。もしかしたら、そいうのって他にもあるかもしれない。タブレットだってもっと大ききれば新聞だって見やすいかもしれない。

 

こんなのどうでしょう、居間のテーブルの上が全面タブレット。テーブルの前に座った人が自分の好きな大きさで好きなコンテンツを表示させる。小説でも、マンガでも、雑誌でもそれこそ新聞でも動画でも構いません。

 

家族の伝言版にしてもいいし、テレビ電話にしてもいい、使っていない時にはお洒落なデザインを表示させて、お部屋のインテリアにしたっていい。もしかしたら、家族四人で人生ゲームもできるかもしれない。麻雀だってできるし、ピアノにだってなる。

 

なんか単純だけどいいでしょ。AppleTable、もうこんなの考えてたりしてね、次は家具の革命だ、こんな未来がもうすぐ来るかもしれない。