「青い日々」

50歳からの多幸感あふれる、幸せな生活

奴隷 〜植松努さんの「どうせ無理と思っている君へ」〜

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植松努さんの「どうせ無理と思っている君へ」という本を読んだ。

 

そこには、こんな一節があった。「他者評価は人生を決定しない。”誰かに評価されたい”と思ったらたちまち評価する人の奴隷になる。」

 

僕はサラリーマンをしているのだけれど、サラリーマンって誰かに評価されないとその会社で偉くなれないんだよね。だから業績を上げることはもちろんなんだけど、”偉くなることが成功するという価値観の人”は、自分が偉くなるために偉い人に評価される必要がある。

 

そこで偉くなりたい人は偉い人に対して、僕はあなたのお役に立ちますよ、あなたの言うことだったら何でもしますよ、だから評価してください、って感じになっちゃう。その結果、忖度したり、頑張ったフリしたり、媚びへつらったりするわけ。

 

それを植松さんは「奴隷」と呼んでいるのです。

 

自分はそんなこと無い、って思うし、思いたいけど、自分より偉い人と話しているときに必要以上に媚びている自分がいることに気づく時がある。この人によく思われたい、嫌われたくない、良い評価を得たいし、人事異動でどっか行きたくない部署に飛ばされたくない、なんて思っちゃう自分がいる。

 

奴隷だよね、ほんと。

 

じゃあ、どうすればいいのだろう、会社を辞めて独立するか、それとも会社の中で誰とも交わらず自分の意見を貫き通し成果を上げ続ける孤高の存在になるか、しかないのだろうか。

 

でも、そんなに大げさに考えなくてもいいのかもしれない。だって”偉くなることが成功するという価値観の人”ってとこが間違っているのだもの。

 

まずはその価値観に毒されちゃダメなんだ。

 

もし、そんな価値観に毒された人達ばかりの会社だったら辞めたほうがいい。というか、遅かれ早かれそんな会社はなくなります。間違いない。だってそんな会社が人様に受け入れられる価値ある商品やサービスを作り出せるわけないんだから。

 

つまり評価する側は、評価される側に認められなければならないってこと。そして一緒になって自分たちがすべきことを考え、その実現に向けて取り組む、組織で取り組まなければならないってこと。それをみんなが価値観として共有する会社が健全な会社なんだと思います。

 

だから、自分自身も戒めなきゃならない。偉い人、目上の人と話すときも、自分は奴隷にならないぞと(もちろん礼儀は必要です)、そして自分たちが担う仕事、なすべきことをするために何が必要なのかを考えていかなければならないと切に思うわけです。

 

植松さんはこう言います。「誰かに褒められたい、認められたいという”褒められプレッシャー”から逃げ出す。自信がある人は自分で自分を褒めるし、自分で自分を認めることができる。自信が傷ついている人は褒められることを求める。”いいね”なんかに頼っちゃいけない。」

 

上司が会社が云々ではなく、まずは自分、自分に自信を持てる自分になるということ、これがサラリーマンであっても自営業であっても大事なんだと思います。

 

そういう自分になりたいな、そしてそんな組織を作れる自分になりたいな、ホントそう思います。

 

植松さんはこうも言います。「君に協調性なんかいらない。同じ意見でなければ仲良くなれないのは本当の友達ではない、同じ行動を取らなければ仲良くできないのは本当の友達ではない。」

 

「リーダーとは自分がやるべきと思ったことを真っ先にやる人、命令する人はカリスマではない、リーダーにカリスマを求める人は自分で考えず、責任と判断を避けたいだけ、楽したいだけ。」

 

まだまだやれることはたくさんありそうだ、頑張ろっと。そして、こんなふうに勇気を与えられる人に僕もなりたいな、ちっぽけでもかまいやしない、僕が僕と思える僕になりたい、ホントそう思います。

 

大歓声はだれのもの 〜スーパースターとちっぽけな僕ら〜

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昨日、先週に続き、日産スタジアムに横浜・Fマリノスの試合を見に行きました。相手は去年のチャンピオンチーム川崎フロンターレ

 

今年のマリノスは今のところ好調で、彼らが目指すアタッキング・フットボールをチーム一丸となって体現してくれています。一言で言うと見ていて楽しい、面白い、ワクワクする。なので花粉症で鼻をすすりながらもスタンドで観戦してきました。

 

先週の仙台とはちがい(すみません)、相手はさすがのチャンピオンチーム、素人目に見ても一筋縄でいかなさ加減が伝わります。逆に言うとスリリングでとても面白い試合。お互いが放つパスの精度、当たり負けしない体幹の良さ、そして走る走るどこまでも走るその速さと持久力、そんな両者が持つ全ての力をぶつけ合う姿は魅力的です。

 

さらに両チームとも攻める攻める、というか自分たちのチームのスタイルを貫き通します。相手に合わせて策を講じるのではなく、自分たちの目指すべきスタイルで相手をねじ伏せようと戦うその姿、清々しささえ感じます。ホントいい試合。

 

試合の結果はというと、これまた凄い、終了直前に川崎に勝ち越されたものの、なんと後半ロスタイム最後のプレーでマリノスが劇的な同点弾。途中出場の扇原選手が天野選手のコーナーキックから放たれたボールを頭で叩き込みました。

 

その瞬間のスタンドの雰囲気。マリノスサイドからは驚きと興奮にみちた大歓声が、そして川崎サイドからはずっと続いていた応援の声が一瞬にして止み沈黙に。

 

いやー、私もひとりで観戦していたのですが、思わず声が出ちゃいました。しかも発した声は「すげー」だけ、まったく恥ずかしい。人間、本当に感動するとこんな言葉しか出てこないんですかね、それとも単にボキャブラリーがないからなのか。そんなことどうでもいいのですが、とにかく体が心が震えるような瞬間を得ることができました。

 

しかもですよ、こんな至福の90分間が3,600円(バック指定席)ポッキリです。それでこんな極上のエンターテイメントが見られるんだから、すごいコストパフォーマンスです。

 

ビバ・サッカー、ビバ・マリノス、こんな試合を見せてくれた両チームの選手に感謝です。

 

ここで思うのは、すべての働くひとは、自分たちが作り出す製品やらサービスにどれだけの価値を見出し、それを提供しているのか、もっと一人ひとりが自問自答しなきゃいけなということです。

 

僕ら自身はどんなコストパフォーマンスが発揮できているのかと。

 

誰しももっと儲けたい、もっと給料がほしい、もっと成功したいと思うのでしょうが、それに見合う価値があるのか、それを作り出すために努力しているのか、とうことです。やっぱり楽して金儲けなんて邪道だし、素晴らしいものを効率的に作り出すことは大事だけど、手を抜いちゃいけない、ズルしちゃいけない。

 

自分が何かしらを得るためには、それに見合うものを提供しなければならない、そんなあたり前のことだけど、みんながこのような思考回路で努力しあって、素晴らしいものをドンドン生みだしていけば、きっとお互いがお互いをリスペクトしていく、そんな世の中になるんじゃないかと思います。

 

これだけの身震いする瞬間を披露してくれた両チーム、そして選手たち、それに負けないような仕事を僕らもしていかなきゃってことですね、スーパースターの彼らにしてみればちっぽけな僕らですけど。

 

試合が終わって、サポーター席に向かう扇原選手。そしてそこには大歓声の扇原コール、うれしいだろうなあ、どんな気持ちなのかな。ちっぽけな僕らにはこんな瞬間を得られることは一生ないだろうな。

 

そんなこと思いましたが、考えてみれば扇原選手、今シーズンリーグ戦初出場、要はレギュラーから外されていたんですよね。やっぱり努力か、何事も腐らず頑張ることだよな、ちっぽけな僕らも一緒、スーパースターも一緒。

 

そんな青臭いことを思い感じた日産スタジアムの一日でありました。

 

「We Trust Our Boss」〜今年の横浜F・マリノスはひょっとしたら〜

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Jリーグ横浜F・マリノス、昨日、ホーム開幕戦を見てきましたが、いやー素晴らしい試合、いつからマリノスはこんなチームになったのでしょう。

 

なんかサッカーというスポーツが違うものに見えました、ほんといい試合、というより面白い試合。詳しいことは言えないのだけど、まず一人ひとりが上手(プロだから当たり前なんだろうけど高い技術力を持つからこそできる戦略を実践している)、そして連動して攻め続けるその攻撃スタイルは見ていて痛快です。

 

走る走る走る、アジアカップのときも思いましたが、選手たちが一生懸命走るその姿は美しいと改めて感じました。結果、昨日は完勝、相手は何もすることができず、マリノスがほとんど攻め続けていた印象があります。

 

マリノスといえば堅守が代名詞でしたが、一体こんなチームに誰がしたのでしょう。

 

それは前オーストラリア代表監督のアンジェ・ポステコグルー監督その人です。昨年の就任以来、攻撃サッカーを志向、一貫してボールを保持し、時にはキーパーさえ中央付近まであがって攻め続ける戦略を貫き通しました。

 

その結果、うまくいくときは大変面白いサッカーをするのですが、相手に研究されたりしてうまくいかないときは徹底してうまくいかない、その繰り返し、結果、なんと一度も降格したことのないチームは降格寸前にまで陥ってしまいました。それでもこの監督はチームの戦略を変えようとしません、一貫してこのスタイルを取り続け、選手たちに同じサッカーに取り組ませます。なんとか降格は免れましたが成績は散々なシーズンとなりました。

 

そんな降格争いの中、印象的なシーンがありました。スタンドに掲げられたサポーターの横断幕、スプレーで殴り書きされたようなものでしたが、そこにはこう書かれていました「We Trust Our Boss」、俺らは監督を信じる、これは珍しいなと感じました。

 

スポーツに求められるものは所詮は結果、だからどんなに魅力的なサッカーをしていたとしてもうまくいかなければ首になるのは当たり前、それが降格寸前の状況だったらなおさらのこと、どこのチームも毎年そんな感じで、任期途中でクビになる監督が何人も出ています。

 

それがこの横断幕、つまりそれだけ、この監督の採用した戦術が魅力的で可能性を感じさせるものだったのでしょう。

 

そして迎えた今シーズン、まだ二戦を終えたばかりですが、昨年から築き上げてきたサッカーの完成形をいよいよ見せてやろうじゃないか、そんな意気込みが伝わるような試合を見せてくれています。

 

それを現実のものとするための選手補強、そして何より徹底した練習が行われてきた結果であることは言うまでもありません。期待せずにはいられない今年のF・マリノスです。みんなで応援しちゃいましょう。

 

それから「We Trust Our Boss」ですが、ここにあるBossは「Bossの目指すサッカー、実践するサッカー」であって「Boss」自身ではないとうことです。

 

究極のことを言えば、Bossの人柄や性格が素晴らしくて俺らはBossを信じるなんてことはまったくないわけです。非常識なことを言えば、性格の悪い陰湿なやつだったとしてもかまわない(もちろんそんなことはありません)。

 

これってビジネスの世界でも一緒、ビジネスも大事なのは戦略や施策です。それをみんなが納得して共有して一緒になって取り組む、そして成果を出して一緒に成長していく。この場合も「We Trust Our Boss」のBossは上司のことではなくて、上司が(一緒になって)実行しようとする戦略や施策なのです。

 

それなのに上司がいい人かそうでないか、信用できそうかどうか、その人柄に対してついていく/いかないなんて大正時代みたいな職場がいまでも散見されています。そんなこと関係ないのにね。

 

ビジネスマンの皆さん、今年の横浜F・マリノスの試合を見に行きましょう。

 

そして自分たちも何をしなければいけないかを学びましょう。面白い仕事をして結果を残しましょう。そのための戦略や施策を上司と部下で徹底して練り上げましょう。そしてその行動に責任を持つ上司と一緒に最高のプレーを実践しましょう。

 

マリノスがサッカーを変えようとしているように僕らも仕事のやり方を変えようじゃありませんか。

 

応援するだけじゃあダメなのです、僕らも頑張るのです。「We Trust Our Boss」と言えるように、そして言われるようにね。

 

世代 〜自分のことは自分で考える〜

 

先日、大前研一さんの本を読んでいたら、いまの20代30代の人間は物欲がない、と書いてあった。

 

バブル崩壊後の「失われた20年」に育った低成長デフレ時代の申し子は、低欲望で内向き下向きで出不精な価値観やライフスタイルを持っており、彼らにこれからの日本経済を切り盛りしていくことは難しいのではないかとのこと。

 

大きなお世話だよね、彼らには彼らなりの秘めたる野心やパワーがあると思うんだ、それこそある年代を一括りにして考える発想がイマドキではないと思う。団塊の世代とかってね。

 

しかもここでのご指摘には続きがあって、だからこそ40代50代のバブルを経験したイケイケ世代が60代、70代になっても仕事をして、社会を牽引していくことが必要なんだと。

 

なんか違うよな、もしかしたらこれは40代、50代に対して自己啓発を促す言葉なのかもしれない、社会保障に頼らず、自分のことは自分で養っていかなければならないよと、それなら意味がぜんぜん違うじゃんね。コワイコワイ。

 

いずれにしても世代でその年代の人間を一括りに捉えてしまうのは雑すぎる、ゆとり世代やら、バブル世代やら、ポスト団塊の世代、何がなんやらよくわからん。

 

20代であっても70代であっても人それぞれ、物欲がある人もいれば低い人もいる、優れたスキルを有している人もいれば、そうでない人もいる、皆それぞれ価値観や大切にしているものが異なります。だからこそ自分の特色を打ち出して、活躍しようと思えば活躍できる環境が作られていることが大事なんだと思います、あとは全て自分次第。

 

なんか政策の失敗や自分と異なる価値観の人間を、理由づけするために使われているような気がしてしょうがないんだよな。一種の差別。一体誰が名前なんてつけ始めたのだろうね。

 

僕は本屋さんで30代の〇〇とか、50代からの△△とか言う本を見るたび信用できないなって思います。だってその作者の価値観を押し売りされるいわれはまったくないんだから。もっと自分のことは自分で考えましょうね、ホントそう思います。

 

自動運転 〜目的地に着くことは目的ではない〜

 

新幹線って昔から好きだった。

 

乗っている間、好きな本に没頭したり、音楽聞いたり、夜は夜でビールを飲んだり、退屈だなと思うこともなく、暇な時間を満喫できる空間。自分の部屋というより、自宅のトイレみたいな感じ。

 

だけどまわりを見るとつまらなそうな人だらけ。寝ている人がほとんど、速く目的地に着きたいって感じの人ばかり、ぼーっと車窓から外を見ているだけでも楽しいのに、もったいない。

 

だけどそんな人が大半なんでしょう、みんな忙しさんなのよね。

 

この間、車が大大大好きって言ったんだけど、これから自動運転なんかが普及してくると自分で運転することなんて減ってきて、車でのドライブ自体も目的地につくための退屈な時間って感じになっちゃうんでしょうね。もったいない。

 

やはり自分が操縦して、どこかに向かうというそのプロセスはかけがえのないものだと思うんですよね。

 

将来、自家用飛行機なんかで自分が操縦してあちこち行けるようになったら最高だよね。そのためにはもちろんコストの問題もあるけど、道路に変わる空路や駐機場といった社会インフラの大改革、小型飛行機のイノベーションなど様々な改革が必要ですけど、そんなことができたなら本当の大発明だ。

 

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考えるだけで楽しみ!地図やカーナビも一新されなきゃね、空路地図、そこから見えるものは何なのか、観光のあり方自体も変わっちゃう。

 

でもこれって手塚治虫とか映画のメトロポリスとかで描かれていた未来の姿と一緒か、みんな昔から夢見ていたことなんですね。

 

僕が思うのは、やはり旅行にしても出張にしても移動は単に目的地につくことが目的ではなくて、そのプロセスがかけがえのないものだということです。

 

そしてそこで何を考え何を思うか、自分が自分の所有物であるお気に入りマシンを操縦しながら、そんな時間を過ごせたらと思うとサイコーです。

 

だからこそ、その大切な瞬間、自分の大大大好きな人といっしょにいられたらサイサイサイコーと思わけです。

 

結局、人生と一緒だよね。

 

目的地なんてわからない、そこについたら何があるのかもわからない、僕らはそこに進むプロセスを生きている。

 

大切な人と一緒に生きていけたらサイコーだ。そんなサイコーな人生を歩みましょうね!

 

発明 〜ドライブするって素晴らしい〜

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車を発明した人って天才だよね、世の中が変わっちゃった。

 

ほんのちょっとのガソリンで何十キロも移動できる、しかもひとりじゃない、何人もの人を載せて同じ時間を共有できる。同じ景色を見て、同じ空気を吸って、同じ感動を味わえる。ホント素晴らしい。

 

僕はそんな車が大好き、別にスピードを出すわけでも何でもない、改造するわけでもない、ただただ車に乗って行ったことのない、見たことのない場所に行くこと、そのプロセスが大好き。

 

もちろん車へのこだわりもある。

 

若い頃は高級車に乗りたかった、それもちょっとマニアックな車に。audiであればオールアルミのA8、BMWであればおしりが変わった形の7シリーズ。

 

そんな中、ルノーアヴァンタイムという車があった。形はオデッセイ見たいなんだけど2ドアで窓やサンルーフがガパッっと開く一言でいうと変な車、誰がどう見ても変な車。だけどこれがかっこいいんだよね、ほんと欲しかったけど確か500万円以上もする車でとても手が出なかった。

 

そのあとグランセニックっていう一回りちいさなルノーのミニバンを買ったんだけど、やはりアヴァンタイムと比べてしまう自分がいた。無理してでも買っておけばよかったのかな、今でもそんなことを思ったりする(これはこれでいい車でしたけどね、屋根もガバッと開いたし、なんたって街なかで見かけることがほとんどなかった)。

 

 今もマニアックでかっこいい車、あまりないような色の車が好きなんだけど、どちらかというと適度なサイズで乗りやすい車が好きになった。やはり都会では適度なサイズ感が重要ですよね。

 

僕は車であちこち走り回るんだけど、走り屋ではないので山道で飛ばしたり、高速道路をものすごいスピードで走ったりという欲望はありません、むしろ怖いくらい。

 

ゆったりと車を走らせながら周りのの景色をみたり、いろんな考え事をしたり、コーヒー飲んだり、好きな音楽を聞いたり、大きな声で(下手くそな)歌を歌ってみたり、そんなことが大大大好き。

 

今はなかなか難しいのだけれど、以前は一ヶ月に一回くらい平日に休暇をとってドライブに行くのが常だった。お気に入りは富士五湖のあたり、鳴沢氷穴から西湖に抜けるみち、そして湖沿いに走るのが大大大好き。ホント気持ちいい。

 

近場であれば僕のおすすめは玉堤通り。要は多摩川沿いの土手ですね。休日、ここをちんたら走るのがとても好き。

 

都会なんだけどのんびり感があって、夕焼けもキレイ、人もたくさんいるんだけど、みんな思い思いの休日を過ごしている感があってなんか平和な感じ、幸せを感じます。

 

こんな便利で快適で楽しい乗り物、発明した人は大天才です。

 

ぼくもそんな大発明はできなくても、些細なことでもいいから人の感性を変えられるような発明ができたらいいな。

 

今度ドライブしながら考えてみよう、ホントそう思います。

 

変われる 〜自分で判断する、決める、未来への希望〜

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サッカーアジアカップの日本代表、印象的なシーンが有りました。

 

準決勝のイラン戦、南野選手が倒されてファールと思いきや、すぐに自ら立ち上がりボールを取りに行ったシーンです。

 

あのとき彼は何を思ったのでしょう、今までの発想だとファールをアピールというのが経験則だと思います、それをすぐさま立ち上がり一心不乱にボールに追いつき決勝点につながるボールをゴール前に蹴り入れる、それに大迫選手が反応する。

 

なんか彼らの発想が、これまでのサッカーの経験則や文脈に従わず、勝ちたい、点を取りたい、その一点で行動していたように見えました。

 

なんか日本人って先生に言いつけるぞ、みたいな感じで育ってきたせいか、誰かに決めてもらう、誰かに従う、みたいな考えが強いように思います。

 

だから北朝鮮との問題にしても最近の韓国とのいざこざにしても、我々は正しいんです、あいつらが悪いんですというばかり、アメリカをはじめとした世界の皆さん、そう思うでしょ、だから彼らに裁きを与えてください、みたいな他人任せ感がとっても強い。

 

よくニュースなんかでも、世界はどう伝えたか、みたいな文脈の報道がとても多いけど、そんなこと気にしている暇があるなら、自分たち自身で問題解決することを一生懸命に考えたほうが良いと思うんだよね。自分のことは自分で決めるんです。

 

アジアカップのあのシーンでも、今までだったら審判にアピールしてファールが認められなくて、最後は誤審だとかなんだとかで負けた理由の一つになるとこでしょう。彼らは自分自身の力、そして判断力でそれを変えたんです。

 

他人任せにしない、自分の事は自分で決める、そしてやるべきことを一生懸命にやる、簡単そうですが、これまでできてこなかったことです。

 

彼らのような若い世代が増えてくれば、これから変わるな、なんか未来への希望を感じたそんな試合でした。

 

変わらなきゃ 〜大坂なおみの世界一と頑張れマスコミ〜

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大坂なおみさんが全豪オープンテニスで優勝した。

 

テレビで見ていましたけど、すごく面白かった。テニスの試合をまるまる見たことなんてなかったけど、なんか引き込まれて見てしまった。

 

四回戦の台湾選手との試合、それと決勝戦チェコの選手との試合を見ましたが、どちらも途中でダメかなと思ってしまったけれど、最終的に逆転勝ち。

 

勝手にダメかなあなんて思ってしまった自分が恥ずかしい。やはり純粋に一生懸命なんだよな、ああいう人は強い、そして羨ましい。

 

で、翌日の新聞ですが、想像していたとおり1面で「日本人初」の世界一、そして社会面で「なおみちゃんの人柄」を知人なんかへのインタビューで褒め立てる記事。

 

ほんと昭和の文脈のまんまだよね。

 

こういうの誰か止める人が新聞社の中にいないのでしょうか。いつのまにか「日本人」を讃え、そしてその美徳としての「謙虚さ」につなげる、一番食べたい日本食なんて関係ないし、カツ丼=庶民的に誘導する必要だってないのにさ、ほんと頑張った人に対して失礼極まりないと思います。

 

やはりマスコミって楽してると思うんですよね。

 

今までと同じ書き方すれば叩かれないし、読者からも喜ばれる。それに「表現の自由」という言葉のもと立場が守られすぎている。実際、競争も少ないし給料も高い。

 

本来はマスコミが率先して今の時代を「表現」して記事にしなければいけない、「挑戦」しなければいけないのにそれができていないしするつもりもないみたい。だからさっきも言ったとおり昭和の文脈から抜け出せない。

 

読む方もその心地よさや、懐かさからをそれを受け入れてしまう、もう時代は変わってるっていうのに。

 

で結果、未熟なマスコミ、成熟できない国民と言う図式が成立して国際的な競争力から落ちこぼれていく。身内だけで仲良しごっこをしているのと同じだよ。

 

実際、経済だってそうなってる。スマホや通信機器に半導体、テレビや家電だってみんな競争から脱落してるし、自動車や金融だってこれからそうなる。電気自動車やfintechに代表される金融のグルーバル化についていけなくなる。すべて昭和の芸風から抜け出せていないのだもの。

 

だって「日本初」なんて関係ないし、大坂なおみさんが「いい人」で「謙虚」である必要なんてまったくないのだから(大坂さんがそうでないということではもちろんない)。そこが変わらないと、世界で競争して勝ち抜けるわけがない、今はたまたま日本国内だけで経済が成り立っているだけだと思います。

 

大坂なおみさんは純粋に勝ちたくて頑張っているだけ、それも死に物狂いで頑張っているだけ、そして世界一になっただけ、それ以外の修飾語は何もいらない。

 

修飾語を求めているのは日本人だけだということに早く気づくべきだと思います。そしてそれをマスコミが実践するべきです。

 

事実は事実だけを伝える、そしてそれを僕ら自信が受け止め考える、それを支援(誘導でなく解説)するマスコミの役割を徹底するべきだと思います。

 

今の若い人たちは新聞なんかみない、ネットで事実を知る、だから遅かれ早かれ今のマスコミは衰退して新しい時代が来る、なんていう人もいますが、ネットの記事をよく見てごらんよ、その多くは低品質、それこそフェイクニュースが盛沢山、ちゃんと意識していないと知らない間に洗脳されちゃいます。

 

だからこそマスコミの力が必要なんです、大坂なおみさんに負けちゃいられません、頑張れマスコミ!

 

走れ 〜一生懸命であることの美しさ〜

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サッカーアジアカップの日本代表。やはり国と国との真剣勝負の戦いは見ごたえがありましたね。優勝はできませんでしたが、彼らの走る姿は印象的でした。

 

それにしても走る走る走る、ほんと良く走る人たち。戦術とかいろいろな人たちがいろいろなことを言いますが、単純に彼らの走る姿は「美しい」と思いました。

 

あの一生懸命さや、がむしゃらさはかけがえのないものだとも思います。当然本人たちはそんなこと思っていないのでしょうが、こんなにも一生懸命になれるものを見つけ、そこでトップに立っているということは、たいへん幸せなことなんだと思います。

 

なんでもそうですが、一生懸命な人たちは応援したくなります。

 

頑張れ、僕らも応援してるよと伝えることで、その頑張りの一つのエネルギーにしほしい、そんなことを感じ考えます。

 

でも同時にこうも思います、自分はどうなんだ、自分は何に頑張っているのか、自分も頑張れよ、と。

 

そう、自分は何を頑張っているのか、何に対して一生懸命なのか。

 

何も同じように国の代表になれということではありません、自分もみんなに応援してもらえる自分になりなさいよ、ということを強く思います。

 

応援して応援される、切磋琢磨、やはりこれですよね。

 

少しずつでもちょっとしたことでもいいから、何かを変えていける僕らでありたい。 相手が国を代表するスーパースターだって構わない。自分が何を頑張るか、どんなに些細なことでもいいし、全然大したことなくったっていい。

 

一生懸命になることが大事なんだから、あのスーパースターだってきっとそう、ただただ頑張っているだけ。 だから僕らだってどんなにちっぽけなことであっても彼らに応援してもらえる僕になりたいよね。

 

彼らもそう思っているかもしれない、自分の姿を見て自分も頑張ろうと思ってくれている人がいるといいな、その人のためにも頑張ろうってね。それが彼らの力にもなるはずです。

 

応援すること、応援しあうことは大事、その内容はなんだっていい、全部同じ、自分のすることに頑張れる自分になることが大事なんだよね。

 

ホントそう思います。

 

暇な人たち 〜サラリーマンは忙しい〜

 

逮捕されちゃった日産自動車のゴーンさん。

 

収入を虚偽記載したことが逮捕の理由らしいけど、そんなにひどいことなのかな、なんか不思議な感じ。そう思ったら、そのあと会社のお金を使い込んだ疑いで再逮捕。事実はどうなのかわかりませんけど、これってどうみても日産自動車のクーデターですよね。

 

かつて倒産寸前に陥った日産はルノー資本提携で助けてもらったわけだけど、現在はその立場が逆転。自動車の出荷台数も売上規模も日産のほうが上、それなのにルノーに従わなきゃいけない現在の関係は見直したい、なのにそれどころか経営統合させられちゃうかもしれない。

 

こりゃマズイ、今なんとかするしかないでしょ、ということで今回の謀反につながったんでしょう。もうフランス人の言いなりにはならないぞと。

 

これって気持ちはわかりますけど、日産自動車の奢りだと思います。今は立ち直ったのかもしれないけど、立ち直らせたのはルノーでありゴーンさんだったのは紛れもない事実。

 

日本人だけの日本の会社であった日産自動車では生まれ変わることができなかった。だから私は思います、日産自動車ルノーから独立したら、また近いうちに経営危機に陥るだろうなと。

 

なので、もしも私がルノーだったら、今回の件をきっかけに日産自動車の株を全部売却するかもしれません。

 

だって今回の事件もゴーンさんがすべて悪いことになっていますが、同じように罪を犯したのは日産自動車自身なのですから。

 

役員報酬の虚偽記載も中東の会社への不要な資金供与などももし本当であれば、会社の体をなしていると言えません。こんなやばい会社とは即刻手を切るべきです。

 

これまでずいぶん儲けさせてもらったのだから十分だと。そして新しい提携先を見つけるべきだと考えるのではないでしょうか。もしかしたらそれはトヨタやホンダかもしれないし、中国のメーカーかもしれません。日産自動車ルノーがそのように考えるかもしれない、というかそれが一般的に見られる見方だという客観的な危機感を持つべきなんじゃないかなと思います。

 

それとやっぱりガッカリしたのはゴーンさん。

 

個人的にはあれだけの成果を成し遂げたのなら100億もらったって別にいいんじゃないかと思う。もっと堂々としてれば良かったのにね。

 

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そんなゴーンさんも所詮はサラリーマンってことなんでしょう。100億も数百万も一緒、人よりたくさんもらいたい、でもお金の使い方がわからない。

 

やはり事業を起こした人じゃないから、自分のすることに哲学がない、結局は雇われ経営者なんでしょうね。

 

世のため人のためにこの事業を起こす、と一念発起した人であれば、こんなせこいことはしないでしょう。寄付したという話も聞かないしね。まあ、やはり事業家ではなく経営者なんでしょう。経営者はケチであるべきですからね。

 

それにしても、やはり物事は目的が大切なのだと思います。人より多く稼ぐことや、嫌いなアイツを追い出すこと、そんなことが目的になってしまうことはとても寂しいこと。

 

そんなことに労力をつぎ込むってことは、もしかしたらみんな暇なのかもしれない、仕事しているようで本来の仕事じゃないことをしている、暇な人たち。そりゃそんな会社ダメになりますよね。

 

それに暇な時間はもっとかけがえのないものです。大切にしなくちゃいけません。空を見て、空の向こうには何があるのかな、なんて考えている方がよっぽどマシなんじゃない。

 

ホントそう思います。

 

宇宙旅行 〜君の上にある空はすでに宇宙なのに〜

 

成功した実業家の社長さんが商用宇宙旅行に申し込んだらしい。

 

そのお値段うん億円。アーチストを連れて行くんだって。いいご身分ですね。

 

お正月にはツイッターをフォローした人に100万円プレゼントというのもやってたみたい、何がしたいんだろ、よくわからん。

 

でも僕からするとそもそもロケットで宇宙にいく意味がわからない。あんなもんジェットコースターと一緒。だって僕らはすでに宇宙の中にいるのだから。

 

空を見てご覧よ。

 

空を見てあー空だなーと思うか、それともあの向こうは何があるのかなーと思うか。いいかい、あの空の向こうには宇宙がある、ということは僕が今見ている空は宇宙そのものじゃん。そんなこと思うか思わないかだけの違いでしかない。

 

つまり僕らが毎日見ている空は宇宙なのであって、わざわざそこに行かなきゃ見えないものがあるはずがない。地球だって飛行機に乗れば丸いことくらいわかる。

 

そんなことも創造できなアーチストって一体何だい?って感じです。

 

宇宙(空の延長線)に行くまえに広島あたりの山奥に言ってご覧よ。道歩いていても前から来る人がわからないくらい真っ暗。これほんと。

 

そして空を見上げると満天の星空。銀河だって見える。まずそこで感じることから始めてみればいい。

 

絶対オススメします。

 

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 「僕らは宇宙」

 

  空の青はなぜ青い

  漂う雲はなぜ白い

  僕らの血はなぜ赤い

 

  僕らの血管

  つなぎ合わせると

  どのくらいの長さか知ってる?

 

  この間テレビでやってた

  地球二周半

  信じられるかい

 

  空の青はなぜ青い

  きっと青くない

  僕らが見ている空は宇宙だから

 

  僕らは僕らのことを人間だと思っているけど

  僕らの中には地球を二周半も旅する

  すごい僕らがいる

 

  そんな僕らで僕らは出来上がっている

  僕だけじゃない

  君も彼も彼女もだ

 

  だからこう思う

  僕らは宇宙

  やっとわかった

 

  だから自信を持って生きることができる

  僕らは宇宙なんだから

  何者をも生み出せる

 

  僕らは宇宙

  誰のものでもない

  僕だけの宇宙

 

 

ノイズキャンセリング 〜BoseQuietComfort20〜

 

電車の中、みんながみんなイヤホンしてる、「この瞬間の世界の音から自分自身を遮断してもいいものか。だっていろんな音が聞こえることはとても貴重なこと、普段気が付かないことに気づくことだってある、その機会を逃してしまう怖さのほうが僕には気になる。」なんてことを前回言ったけど・・・。

 

先日あるものを購入してしまった。それはノイズキャンセリングイヤホン、Boseの「QuietComfort20」。

 

言ってることとやっていることが違う?でもすごいよこれ、「シーン」、ホント世界が僕一人だけになったかのよう、ある意味、究極のひとりぼっちの時間創出マシーン。

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僕はI Want Be 暇人だから、僕だけの時間をとてもとても愛している。このマシーンがあればどんなに騒がしい場所でもひとりになれる、自分の部屋を持ち運びできるようなもの。

 

常に世界の音や物事に敏感になりたい自分がいる反面、どんなに騒がしい中でも自分だけの時間を作りたい自分もいる。

 

これは後者のためのマシーンだ。買ってよかった、久しぶりにそんなこと思った買い物だった。高いんだけどね、なんと29000円もする、今どきのワイヤレスではなくて有線にもかかわらず。

 

でも今回、あえて有線のイヤホンタイプを選んでみた。このマシーンを選んだ経緯をちょっと紹介します。

 

まずノイズキャンセリングといえば一般的にBoseSonyということになっているらしい。そしてイヤホンタイプとヘッドホンタイプがあるんだけれど、ヘッドホンタイプは持ち運ぶのもかさばるし、家の中だけの使用になりそうだったので、まずはイヤホンタイプに決定。

 

僕は耳が大きいのでヘッドホンしているとなんか疲れる、汗もかく、髪型が乱れるのも好ましくありません。次にイヤホンなんだけど今どきのものは耳にギュッと押し込むカナルタイプと耳にふたをするような昔からのイヤホンタイプの2つが存在する。たぶん前者のほうが今時は圧倒的に多いと思うんだけど、僕は耳にずっと異物を押し込んでいるような感覚が嫌で音楽を聞くときはこれまでも後者のタイプを愛用してきた。

 

で、SONYは前者のタイプ、BOSEは後者のタイプということでイヤホンタイプのBOSEに決定、もちろんデザインもBOSEのほうがかっちょいいと私は思った。

 

あとは有線かワイヤレスかなんだけど、もちろんBOSEの最新タイプはワイヤレスで「QuietComfort30」という製品。やっぱりワイヤレスだよね、と思ったけど、このタイプのものはノイズキャンセリングを利かすためにコード上にある程度の筐体つまり装置が必要になってしまうらしい。

 

「QuietComfort20」もコードの末端に長方形のチョコレートみたいな箱がついている(これはこれで邪魔ではあります)。で、ワイヤレスの「QuietComfort30」なんだけど、首に巻くちょっと太いネックレスみたいなものに装置を内蔵して、そこからイヤホンをつける形にした模様。SONYのも同じような形なので、ワイヤレスにするにはこのような形で装置を収めるのが最善ということなのでしょう。

 

で、やっぱり邪魔、ワイヤレスと入っても首に巻くのは嫌だなー来ている洋服にも左右されそうだし、正直あまりかっこいいもんではない、ということで古い有線タイプではありますが「QuietComfort20」に決定した次第。

 

結果は前述の通り大満足。

 

しかもノイズキャンセリングだけ使いたいときはこのイヤホンだけで事足りる。私のように音楽をあまり重要視していない人には最適です(なので音質も二の次です)。

 

よーしこれで、ぼっち時間を満喫するぞッと思い、まずはテレビが常についている家の居間で使ってみた。

 

感動です。

 

いままで読書していてもテレビの音声やらなにやらで集中できなかった。かといって自分の部屋でひとり本を読むのも寂しい。これなら、家族のみんながいる賑やかな場所でもぼっち時間を満喫できる。

 

ひとりになりたいけど一人は嫌、という我儘さんというか、たんなる寂しがり屋さんにはサイコーのマシーン、オススメです!

 

雑音 〜みんなイヤホンで何を聞いてるの〜

 

昔からこんなだったかな。電車に乗るたびに思うことがある。何って、みんながみんなイヤホンをしていること。若い子だけでなく、いいおっさんも含めてみんながイヤホンをしている。

 

一体何を聞いているのだろう。

 

僕も外出中に音楽を聞くことはあるけど、その時はいつもためらう。この瞬間の世界の音から自分自身を遮断してもいいものかって。音楽やらラジオやら好きなもの聞くのはその人の勝手だけど、街の音すべてが雑音、不要なものだと思われているのではないかと思ってしまう。

 

 だっていろんな音が聞こえるということは時としてとても貴重なこと、普段気が付かないことに気づくことだってある、その機会を逃してしまう怖さのほうが僕には気になる。

 

雑音は単なる雑音ではない。

 

その中に街や人や世界の生きている音が詰まっている、そこで何かを感じたり気づいたりすることがあるかもしれない。

 

電車に乗ってたら草刈り機の音が聞こえてきた。何気なく外を見ると土手で草を刈っている人たちがいる、その瞬間、青い草の匂いがしてきた。なんで、こんなに離れている電車の中なのにって、それ自体に驚いたんだけど、草の匂いを感じるのはいつ以来だろうってことに気づいた。どうして最近はそういう機会がないのだろうって考えた、もしかしたら機会があっても気づかないだけなのかもしれない。

 

青臭くて懐かしい生き物の匂い、からだは敏感に反応する。 僕はそんな出会に気づきたい、感じたい、どんなにささいなことだってかまわない。

 

そんなの暇人だけが思うことなのかもしれないけど、みんな忙しいから、いつの間にか忙しさにかまけて、暇になることを怖がってるんじゃないだろうか。忙しくないと自分が求められなくなったたような、自分が駄目な人間になったような脅迫感を感じているんじゃないだろうか。

 

だから暇な時間は暇つぶしをしていないともったいないと感じてしまう。イヤホンをつけて音楽を聞いたりラジオを聞いたり、英会話の勉強に励んだり、なにかしてなきゃ気がすまない。

 

結局、人それぞれなんだけど僕はこの瞬間瞬間の出会い求めてる。そしてそんな機会をもたらしてくれる暇な時間を愛してる。

 

I Want Be 暇人。

 

 だって暇な時こそが自分だけの時間なんだもん。愛おしいくらいの貴重な時間。そんな時間を好きな音楽を聞いて過ごすのもいいけど、たまには何もしないで世界の音に耳を澄ましてみる、そんな過ごし方もいいと思う。

 

なんか凄いこと発見しちゃったりするかもしれない、そう思うと楽しみでしょうがない。僕はそんな青い日々をこれから楽しんでいきたい。ホントそう思います。

 

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